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おがさわら【小笠原】をがさはら🔗⭐🔉
おがさわら【小笠原】をがさはら
「小笠原諸島」の略。
おがさわら【小笠原】をがさはら🔗⭐🔉
おがさわら【小笠原】をがさはら
姓氏の一。
おがさわら‐おおこうもり【小×笠原大蝙=蝠】をがさはらおほかうもり🔗⭐🔉
おがさわら‐おおこうもり【小×笠原大蝙=蝠】をがさはらおほかうもり
オオコウモリ科の哺乳類。体長二〇〜二五センチ。花や果実を食べる。小笠原諸島にのみ分布。天然記念物。
おがさわら‐きだん【小×笠原気団】をがさはら‐🔗⭐🔉
おがさわら‐きだん【小×笠原気団】をがさはら‐
日本の南東の太平洋上に発生する海洋性熱帯気団。夏によく発達して日本付近まで張り出し、暑い晴天をもたらす。
おがさわら‐こうきあつ【小×笠原高気圧】をがさはらカウキアツ🔗⭐🔉
おがさわら‐こうきあつ【小×笠原高気圧】をがさはらカウキアツ
小笠原気団のためにできる温暖高気圧。
おがさわら‐こくりつこうえん【小笠原国立公園】をがさはらコクリツコウヱン🔗⭐🔉
おがさわら‐こくりつこうえん【小笠原国立公園】をがさはらコクリツコウヱン
小笠原諸島のうち聟島(むこじま)・父島・母島の各列島を中心とする国立公園。熱帯植物や海食地形に富む。
おがさわら‐さだむね【小笠原貞宗】をがさはら‐🔗⭐🔉
おがさわら‐さだむね【小笠原貞宗】をがさはら‐
[一二九四〜一三四七]鎌倉末・南北朝時代の武将。元弘の変に足利尊氏に従って功をたて、信濃の守護となった。騎射・故実に通じ武家礼節の祖といわれる。
おがさわら‐しょとう【小笠原諸島】をがさはらシヨタウ🔗⭐🔉
おがさわら‐しょとう【小笠原諸島】をがさはらシヨタウ
東京都のほぼ南南東の太平洋上にある諸島。聟島(むこじま)・父島・母島・硫黄島の各列島などからなる。文禄二年(一五九三)小笠原貞頼の発見といわれ、明治九年(一八七六)明確に日本領となり、同一三年東京府に所属。第二次大戦後は米国の施政権下に置かれたが、昭和四三年(一九六八)返還。動植物は固有種がきわめて多い。
おがさわら‐そうどう【小笠原騒動】をがさはらサウドウ🔗⭐🔉
おがさわら‐そうどう【小笠原騒動】をがさはらサウドウ
豊前(ぶぜん)小倉藩小笠原家の御家騒動。藩主忠固(ただかた)の家格引き上げ運動を推進した家老小笠原出雲(いずも)と反対派とが争い、文化一二年(一八一五)藩主・家老が処分された。
おがさわら‐ながきよ【小笠原長清】をがさはら‐🔗⭐🔉
おがさわら‐ながきよ【小笠原長清】をがさはら‐
[一一六二〜一二四二]鎌倉前期の武将。阿波の守護。小笠原氏の祖。源頼朝の挙兵に加わり、源義仲を討伐。奥州藤原氏の征討、承久の乱に功績があった。
おがさわら‐ながとき【小笠原長時】をがさはら‐🔗⭐🔉
おがさわら‐ながとき【小笠原長時】をがさはら‐
[一五一四〜一五八三]戦国時代の武将。信濃の守護。天文一七年(一五四八)塩尻峠の戦いで武田信玄に大敗し、のち流浪して没落。
おがさわら‐ながひで【小笠原長秀】をがさはら‐🔗⭐🔉
おがさわら‐ながひで【小笠原長秀】をがさはら‐
[?〜一四二四]室町中期の武将。信濃の守護。礼式や騎射の法に通じ、足利義満の弓馬術の師範となった。義満の命により武家の礼法を定めたと伝えられる。
おがさわら‐やもり【小×笠原守=宮】をがさはら‐🔗⭐🔉
おがさわら‐やもり【小×笠原守=宮】をがさはら‐
ヤモリ科の爬虫(はちゆう)類。全長八センチくらいで、尾は扁平。雌だけで単為生殖するため、繁殖力が強い。熱帯アジアから太平洋の諸島、小笠原諸島に分布。
おがさわら‐りゅう【小×笠原流】をがさはらリウ🔗⭐🔉
おがさわら‐りゅう【小×笠原流】をがさはらリウ

武家礼式の一派。室町時代、足利義満の臣小笠原長秀が制定。以後、武家の正式の礼法とされた。明治以後、学校教育にも取り入れられ、特に女子の礼式として広く用いられた。
俗に、堅苦しい礼儀作法のこと。
弓術・馬術の一派。源頼朝の臣である小笠原長清を祖とする。
兵法の一派。小笠原宮内大輔氏隆が創始。

武家礼式の一派。室町時代、足利義満の臣小笠原長秀が制定。以後、武家の正式の礼法とされた。明治以後、学校教育にも取り入れられ、特に女子の礼式として広く用いられた。
俗に、堅苦しい礼儀作法のこと。
弓術・馬術の一派。源頼朝の臣である小笠原長清を祖とする。
兵法の一派。小笠原宮内大輔氏隆が創始。
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