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カンクリ【Kangli・康里】🔗🔉

カンクリKangli・康里】 モンゴルのキプチャク‐ハン国の主流をなす中央アジアのトルコ系遊牧民。

こうあん【康安】カウ‥🔗🔉

こうあん康安カウ‥ [唐紀・史記正義]南北朝時代の北朝、後光厳天皇朝の年号。延文6年3月29日(1361年5月4日)改元、康安2年9月23日(1362年10月11日)貞治に改元。

こうえい【康永】カウ‥🔗🔉

こうえい康永カウ‥ [漢書]南北朝時代の北朝、光明天皇朝の年号。暦応5年4月27日(1342年6月1日)改元、康永4年10月21日(1345年11月15日)貞和に改元。

こうおう【康応】カウ‥🔗🔉

こうおう康応カウ‥ [文選]南北朝時代の北朝、後小松天皇朝の年号。嘉慶3年2月9日(1389年3月7日)改元、康応2年3月26日(1390年4月12日)明徳に改元。

こうき‐じてん【康字典】カウ‥🔗🔉

こうき‐じてん字典カウ‥ 中国の字書。清の康帝の勅命により編纂。康55年(1716)刊。「字彙」「正字通」に基づいて増補した画かく引き字書。所収4万7000字余。最も権威ある字書とされ、今も漢字の規範を示すと意識される。 ⇒こうき【康

こうきじてん‐たい【康字典体】カウ‥🔗🔉

こうきじてん‐たい字典体カウ‥ 「康字典」に見える漢字の字体。漢字の字体の中で最も正統的とされるが、版本によって微細な差があり、完全に統一がとれているものではない。 ⇒こうき【康

こうき‐てい【康帝】カウ‥🔗🔉

こうき‐ていカウ‥ 清朝第4代の皇帝聖祖の称。諱は玄燁げんよう。世祖(順治帝)の第3子。中国歴代王朝を通じて最長の61年間の治政に文武の功業を挙げ、清帝国の地盤を確立、学術を振興。「康字典」「佩文韻府」などは当代の撰。(在位1661〜1722)(1654〜1722)→三藩の乱→ネルチンスク条約⇒こうき【康

こうき‐とじ【康綴じ】カウ‥トヂ🔗🔉

こうき‐とじ綴じカウ‥トヂ 袋綴じ製本の一つ。四つ目綴じの上端と下端の穴の斜め横にもう一つずつ穴をあけて綴じ、角かどのまくれるのを防いだもの。 康煕綴じ ⇒こうき【康

こうきょ【康居】カウ‥🔗🔉

こうきょ康居カウ‥ 漢・魏時代の史書に見える中央アジアのトルコ系遊牧民。シル河下流地域からキルギス平原に拠った。

こう‐く【康衢】カウ‥🔗🔉

こう‐く康衢カウ‥ (「康」は五達した道路、「衢」は四達した道路)都のちまた。大通り。

こうけい【康慶】カウ‥🔗🔉

こうけい康慶カウ‥ 平安末〜鎌倉前期の仏師。運慶の父。奈良仏師康朝の弟子。快慶の師。法眼。1188年(文治4)〜89年、興福寺南円堂の不空羂索ふくうけんじゃく観音・四天王・法相六祖などを造像。96年(建久7)の東大寺の伎楽面に作銘がある。生没年未詳。

こう‐けん【康健】カウ‥🔗🔉

こう‐けん康健カウ‥ からだがじょうぶなこと。健康。

こうげん【康元】カウ‥🔗🔉

こうげん康元カウ‥ 鎌倉中期、後深草天皇朝の年号。建長8年10月5日(1256年10月24日)改元、康元2年3月14日(1257年3月31日)正嘉に改元。

こう‐こく【康国】カウ‥🔗🔉

こう‐こく康国カウ‥ 中国南北朝および隋・唐の史書に見える西域の一国。今のサマルカンド地方。

こうじ【康治】カウヂ🔗🔉

こうじ康治カウヂ [宋書]平安後期、近衛天皇朝の年号。永治2年4月28日(1142年5月25日)改元、康治3年2月23日(1144年3月28日)天養に改元。

こうしょう【康正】カウシヤウ🔗🔉

こうしょう康正カウシヤウ [史記・書経]室町時代、後花園ごはなぞの天皇朝の年号。享徳4年7月25日(1455年9月6日)改元、康正3年9月28日(1457年10月16日)長禄に改元。

こうしょう【康尚】カウシヤウ🔗🔉

こうしょう康尚カウシヤウ 平安中期の仏師。定朝じょうちょうの父(または師)。藤原道長発願の法成寺の仏像など、990年(正暦1)から1020年(寛仁4)の間、造仏に携わったとみられる。

こうてい【康定】カウ‥🔗🔉

こうてい康定カウ‥ (Kangding)中国四川省西部の都市。もと西康省の省都。旧名、打箭炉タッチェンル

こう‐ねい【康寧】カウ‥🔗🔉

こう‐ねい康寧カウ‥ やすらかなこと。安寧。

こうへい【康平】カウ‥🔗🔉

こうへい康平カウ‥ [後漢書]平安中期、後冷泉ごれいぜい天皇朝の年号。天喜6年8月29日(1058年9月19日)改元、康平8年8月2日(1065年9月4日)治暦に改元。

こうほう【康保】カウ‥🔗🔉

こうほう康保カウ‥ 平安中期、村上・冷泉れいぜい天皇朝の年号。甲子革令による改元。応和4年7月10日(964年8月19日)改元、康保5年8月13日(968年9月8日)安和に改元。

こう‐ゆうい【康有為】カウイウヰ🔗🔉

こう‐ゆうい康有為カウイウヰ (Kang Youwei)中国の政治家。春秋公羊くよう学者。号は長素。広東南海の人。清末、変法自強を唱えて、戊戌新政を推進、失敗して日本に亡命後も清朝擁護(保皇)による立憲君主制確立を主張、孫文の革命運動と対立。ユートピアを描いた著「大同書」および「孔子改制考」「新学偽経考」など。(1858〜1927)

こうらくじ‐りゅう【康楽寺流】カウ‥リウ🔗🔉

こうらくじ‐りゅう康楽寺流カウ‥リウ 鎌倉後期に成立した信濃康楽寺の浄賀(1275〜1356)を祖とする絵仏師の流派。「親鸞聖人伝絵」をはじめ浄土真宗関係の絵を描く。15世紀末頃まで続いた。

こうりゃく【康暦】カウ‥🔗🔉

こうりゃく康暦カウ‥ [唐書]南北朝時代の北朝、後円融ごえんゆう天皇朝の年号。永和5年3月22日(1379年4月9日)改元、康暦3年2月24日(1381年3月20日)永徳に改元。

こうわ【康和】カウ‥🔗🔉

こうわ康和カウ‥ [崔寔政論]平安後期、堀河天皇朝の年号。承徳3年8月28日(1099年9月15日)改元、康和6年2月10日(1104年3月8日)長治に改元。

やすつぐ【康継】🔗🔉

やすつぐ康継】 江戸初期の刀工。通称、下坂市之丞。近江国坂田郡下坂庄(今、滋賀県長浜市)の出身。のち越前福井に移住。徳川家康の庇護を受け、「康」の字と葵紋の使用を許され、肥後大掾を受領。初代以降3代まで江戸に隔年出府し、名跡を継ぐ。→葵下坂あおいしもさか

やすとみき【康富記】🔗🔉

やすとみき康富記】 権大外記の中原康富(1400頃〜1457)の日記。15世紀前半の室町幕府・朝廷などに関する史料として貴重。中原康富記。

[漢]康🔗🔉

 字形  筆順 〔广部8画/11画/教育/2515・392F〕 〔音〕コウ〈カウ〉(呉)(漢) 〔訓〕やすらか (名)やす・やすし [意味] 安らか。無事。「安康・健康・小康」 [解字] 形声。「米」の略体+音符「庚」(=かたい)。固い外皮に包まれたもみの意。転じて、かたくて丈夫の意。一説に、もみが落ちる意から、みのりが多い、安楽の意とする。

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