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けい‐こう【
康】(‥カウ)🔗⭐🔉
けい‐こう【
康】(‥カウ)
中国、魏晋時代の竹林の七賢のひとり。字は叔夜。官は中散大夫。老壮の学を好み、琴にもすぐれる。司馬昭に殺害される。著「
中散集」など。(二二三〜二六二)
康】(‥カウ)
中国、魏晋時代の竹林の七賢のひとり。字は叔夜。官は中散大夫。老壮の学を好み、琴にもすぐれる。司馬昭に殺害される。著「
中散集」など。(二二三〜二六二)
こうあん【康安】(カウアン)🔗⭐🔉
こうあん【康安】(カウアン)
南北朝時代、北朝の後光厳天皇の代の年号。延文六年(一三六一)三月二九日改元。南朝、後村上天皇の代の正平一六〜一七年にあたる。康安二年(一三六二)九月二三日、貞治(じょうじ)となる。将軍足利義詮の時代。出典は「唐紀」の「作
治康凱安之舞
」および「史記正義」の「天下衆事咸得
康安
、以致
天下太平
」。
治康凱安之舞
」および「史記正義」の「天下衆事咸得
康安
、以致
天下太平
」。
こうえい【康永】(カウエイ)🔗⭐🔉
こうえい【康永】(カウエイ)
南北朝時代、北朝の光明天皇の代の年号。暦応五年(一三四二)四月二七日改元。南朝、後村上天皇の代の興国三〜六年にあたる。将軍足利尊氏の時代。康永四年(一三四五)一〇月二一日、貞和(じょうわ)となる。出典は「漢書‐志」の「海内康平、永保
国家
」。
国家
」。
こうおう【康応】(カウオウ)🔗⭐🔉
こうおう【康応】(カウオウ)
南北朝時代、北朝の後小松天皇の代の年号。嘉慶三年(一三八九)二月九日病事により改元。南朝の後亀山天皇の代の元中六〜七年にあたる。将軍足利義満の時代。康応二年(一三九〇)三月二六日、明徳となる。出典は「文選」に収める曹植の「七啓」に「散
楽移
風、国富民康、神応
臻、屡獲
嘉祥
」。
楽移
風、国富民康、神応
臻、屡獲
嘉祥
」。
こうき【康煕】(カウキ)🔗⭐🔉
こうき【康煕】(カウキ)
中国、清の聖祖(康煕帝)の年号(一六六二〜一七二二)。中国統一が完成するとともに、制度が大いに改革されて、清朝の基礎が確立された。→康煕帝・康煕乾隆時代
こうきけんりゅう‐じだい【康煕乾隆時代】(カウキケンリュウ‥)🔗⭐🔉
こうきけんりゅう‐じだい【康煕乾隆時代】(カウキケンリュウ‥)
中国の清の康煕帝、雍正帝、乾隆帝の三代百三十余年間の治世の称。清朝の最盛期にあたる。
こうきじてん【康煕字典】(カウキジテン)🔗⭐🔉
こうきじてん【康煕字典】(カウキジテン)
中国の字書。一二集。中国、清の康煕帝の勅命により、張玉書らが編。一七一六年成立。体裁を明の梅膺祚(ばいようそ)の「字彙」にならい、「説文」「玉篇」に基づき、約四万七千字を二一四部、画数順に分類排列し、歴代の韻書の反切以下、字義、別音、別義、古音などを記す。以後の字書の規範となり、漢和辞典の排列の規準となる。
こうき‐てい【康煕帝】(カウキ‥)🔗⭐🔉
こうき‐てい【康煕帝】(カウキ‥)
中国、清朝の第四代皇帝(在位一六六一〜一七二二年)。名は玄
。廟号は聖祖。三藩の乱を鎮定し、チベット、台湾などを平定。また、ロシアの東進をはばんだ。学芸を奨励し、「康煕字典」「佩文韻府」などを編纂。孫の乾隆帝とともに「康煕乾隆時代」と呼ばれる清朝の全盛期を現出した。(一六五四〜一七二二)
。廟号は聖祖。三藩の乱を鎮定し、チベット、台湾などを平定。また、ロシアの東進をはばんだ。学芸を奨励し、「康煕字典」「佩文韻府」などを編纂。孫の乾隆帝とともに「康煕乾隆時代」と呼ばれる清朝の全盛期を現出した。(一六五四〜一七二二)
こうきょ【康居】(カウキョ)🔗⭐🔉
こうきょ【康居】(カウキョ)
中国、漢・魏時代の西域の国の名。中央アジアのキルギス平原を中心にした、トルコ系遊牧民の国。
こう‐きょう【康強・康彊】(カウキャウ)🔗⭐🔉
こう‐きょう【康強・康彊】(カウキャウ)
(形動)健康で丈夫なこと。また、そのさま。「心身康強」
こう‐く【康衢】(カウ‥)🔗⭐🔉
こう‐く【康衢】(カウ‥)
(「康」は太い道。「衢」は四方に通じる道の意)四方八方に道路が通じている、往来の激しい大通り。
こうけい【康慶】(カウケイ)🔗⭐🔉
こうけい【康慶】(カウケイ)
平安末期、鎌倉初期の仏師。康助の子。運慶の父。東大寺、興福寺の復興造像に従事。伝統を踏まえ、新鮮な写実様式を開花させ、慶派一門興隆の基礎を築いた。代表作に、興福寺南円堂の不空羂索観音像、四天王像、法相六祖像や、東大寺の伎楽面がある。生没年不詳。
こうげん【康元】(カウゲン)🔗⭐🔉
こうげん【康元】(カウゲン)
鎌倉時代、後深草天皇の代の年号。建長八年(一二五六)一〇月五日改元。将軍宗尊親王、執権北条時頼・北条長時の時代。康元二年(一二五七)三月一四日、正嘉(しょうか)となる。
こう‐こく【康国】(カウ‥)🔗⭐🔉
こう‐こく【康国】(カウ‥)
中国の南北朝、および隋・唐時代のサマルカンド地方の呼称。
こう‐こくせい【康克清】(カウ‥)🔗⭐🔉
こう‐こくせい【康克清】(カウ‥)
中国婦人社会運動家。朱徳の夫人。一九三一年共産党に入党。紅軍士官学校で学び、長征に参加。婦人運動に活躍し、中華人民共和国成立後、全国人民大会代表、全国婦女連合会副主席となる。(一九一二〜九二)
こうじ【康治】(カウヂ)🔗⭐🔉
こうじ【康治】(カウヂ)
平安後期、近衛天皇の代の年号。永治二年(一一四二)四月二八日改元。康治三年(一一四四)二月二三日、天養となる。出典は「宋書」の「以
康治
道」。
康治
道」。
こうしょう【康正】(カウシャウ)🔗⭐🔉
こうしょう【康正】(カウシャウ)
室町時代、後花園天皇の代の年号。享徳四年(一四五五)七月二五日改元。康正三年(一四五七)九月二八日、長禄(ちょうろく)となる。将軍足利義政、管領細川勝元の時代。出典は「史記」の「平康正直」。
こうしょう【康尚】(カウシャウ)🔗⭐🔉
こうしょう【康尚】(カウシャウ)
平安中期の仏師。定朝の父。近江関寺の五丈弥陀や、法成寺無量寿院の丈六仏九体など、多くの仏像を制作。生没年不詳。
こうしょう【康勝】(カウショウ)🔗⭐🔉
こうしょう【康勝】(カウショウ)
鎌倉前期の仏師。運慶の四男。写実的な慶派彫刻の典型的作家で、作品に法隆寺阿弥陀三尊像や六波羅密寺の空也上人像が残る。生没年不詳。
こう‐たい【康泰】(カウ‥)🔗⭐🔉
こう‐たい【康泰】(カウ‥)
中国三国時代の呉の官人。「呉時外国伝」を著わす。生没年不詳。
こう‐ねい【康寧】(カウ‥)🔗⭐🔉
こう‐ねい【康寧】(カウ‥)
(形動)やすらかなこと。平隠無事であるさま。安寧。「安楽康寧」
こうへい【康平】(カウヘイ)🔗⭐🔉
こうへい【康平】(カウヘイ)
平安時代、後冷泉天皇の代の年号。天喜六年(一〇五八)八月二九日改元。康平八年(一〇六五)八月二日、治暦となる。出典は「後漢書‐梁統伝」の「文帝寛恵柔、克遭
世康平
」。
世康平
」。
こうべん【康弁・康辨】(カウベン)🔗⭐🔉
こうべん【康弁・康辨】(カウベン)
鎌倉前期の仏師。運慶の三男。父と東寺、興福寺の造像に参加。興福寺西金堂の天灯鬼、竜灯鬼両像を作る。生没年不詳。
こうほう【康保】(カウホウ)🔗⭐🔉
こうほう【康保】(カウホウ)
平安時代、村上天皇・冷泉天皇の代の年号。応和四年(九六四)七月一〇日改元。康保五年(九六八)八月一三日、安和(あんな)となる。出典は「書経‐康誥」の「別求
聞
由古先哲王
、用康
保民
」。
聞
由古先哲王
、用康
保民
」。
こう‐ゆうい【康有為】(カウイウヰ)🔗⭐🔉
こう‐ゆうい【康有為】(カウイウヰ)
中国、清末・中華民国初の政治家、学者。列強の中国侵略に対して、日本の明治維新にならって変法自彊(へんぽうじきょう)の策をとなえた。光緒帝を擁して戊戌変法といわれる改革を企てたが、西太后らの保守派により失敗。主著「大同書」「孔子改制考」。(一八五八〜一九二七)
こうらくじ‐りゅう【康楽寺流】(カウラクジリウ)🔗⭐🔉
こうらくじ‐りゅう【康楽寺流】(カウラクジリウ)
室町時代の絵仏師の一流派。長野県長野市篠ノ井にある康楽寺の二代目住職浄賀(号、康楽寺)が祖。浄土真宗関係の仏画を描いた。
こうりゃく【康暦】(カウリャク)🔗⭐🔉
こうりゃく【康暦】(カウリャク)
南北朝時代、北朝の後円融天皇の代の年号。永和五年(一三七九)三月二二日改元。康暦三年(一三八一)二月二四日、永徳(えいとく)となる。南朝の長慶天皇の代の天授五〜七年にあたる。将軍足利義満、管領斯波義将の時代。出典は「唐書」の「承
成康之暦業
」。
成康之暦業
」。
こう‐わ【康和】(カウ‥)🔗⭐🔉
こう‐わ【康和】(カウ‥)
静かでおだやかなこと。
平安時代堀河天皇の代の年号。承徳三年(一〇九九)八月二八日改元。院政白河法皇の時代。康和六年(一一〇四)二月一〇日、長治となる。出典は「崔寔政論」の「四海康和、天下周楽」。
静かでおだやかなこと。
平安時代堀河天皇の代の年号。承徳三年(一〇九九)八月二八日改元。院政白河法皇の時代。康和六年(一一〇四)二月一〇日、長治となる。出典は「崔寔政論」の「四海康和、天下周楽」。
やすつぐ【康継】🔗⭐🔉
やすつぐ【康継】
桃山時代の越前の刀工。肥後大掾を受領。慶長一〇〜一一年頃、徳川家康より、「康」字と葵紋を銘に入れることを許され、五十人扶持を賜り、幕府抱工となる。以後、江戸時代を通して名跡を継承。南蛮鉄を用いて鍛えた刀が多い。
日国に「康」で始まるの検索結果 1-29。