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キシ【吉士・吉師】🔗🔉

キシ【吉士・吉師】 (古代朝鮮語に漢字を当てたもの) 1 新羅(しらぎ)の官職名。一七等中の第一四番目。 2 昔、わが国に帰化した朝鮮人の名につける敬称。文筆の事や通訳など外国との事務を職とした者の称号。*古事記‐中「阿知吉師(アチキシ)<〈略〉>和邇吉師(ワニキシ)」

きしべ‐の‐がく【吉師部楽】🔗🔉

きしべ‐の‐がく【吉師部楽】 =きしまい(吉志舞)

きし‐まい【吉志舞】(‥まひ)🔗🔉

きし‐まい【吉志舞】(‥まひ) 中古、大嘗会(だいじょうえ)に奏した舞。神功皇后が三韓征伐から凱旋して、大嘗会を行なった際に、安倍氏の祖先が奏し、以後代々安倍氏がつかさどることになる。闕腋(けってき)の打掛を着け、甲冑をつけ、鉾(ほこ)をもって舞う。きしべのがく。

きち【吉】🔗🔉

きち【吉】 1 =きつ(吉) 2 役者評判記などに用いる役者の位付けの一つ。上上と上上吉との間に、「吉」の字を白抜きにした「白吉」、「吉」の字の上半部だけの「士」など数種の位付けを設けて細別する。吉の字。 3 数字の七をいう、茶商人仲間の符丁。 4 (「吉米(きちまい)」の略)よい米。上米。

きち‐じ【吉事】🔗🔉

きち‐じ【吉事】 1 めでたいこと。縁起のよいこと。きつじ。 2 江戸時代、葬儀をいう忌みことば。

きちじ‐そう【吉事草】(‥サウ)🔗🔉

きちじ‐そう【吉事草】(‥サウ) 「ふっきそう(富貴草)」の異名。

きち‐じょう【吉上】(‥ジャウ)🔗🔉

きち‐じょう【吉上】(‥ジャウ) 1 この上なくめでたいこと。上吉。 2 六衛府の下役。宮中、宮門の警備にあたった。黄仕丁(きじちょう)。吉祥。

きち‐じょう【吉祥】(‥ジャウ)🔗🔉

きち‐じょう【吉祥】(‥ジャウ) 1 仏語。よいきざし。めでたいしるし。きっしょう。*米沢本沙石集‐九・二五「至る所には、吉祥福徳のみありと云ふ」 2 =きちじょう(吉上)2

きちじょう‐か【吉祥果】(キチジャウクヮ)🔗🔉

きちじょう‐か【吉祥果】(キチジャウクヮ) 仏語。鬼子母神が手に持つ果実で、柘榴(ざくろ)のこと。

きちじょう‐けか【吉祥悔過】(キチジャウケクヮ)🔗🔉

きちじょう‐けか【吉祥悔過】(キチジャウケクヮ) 仏語。毎年正月、吉祥天を請じて、災禍を払い、福徳を招く祈願の法会。

きちじょう‐こんごう【吉祥金剛】(キチジャウコンガウ)🔗🔉

きちじょう‐こんごう【吉祥金剛】(キチジャウコンガウ) 仏語。文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の密教的な呼称。

きちじょう‐ざ【吉祥坐】(キチジャウ‥)🔗🔉

きちじょう‐ざ【吉祥坐】(キチジャウ‥) 仏語。結跏趺坐の一種。まず左足で右の股をおさえ、次に右足で左の股をおさえ、両足のひらを両股の上で上にむかせる坐法。

きちじょう‐じ【吉祥寺】(キチジャウ‥)🔗🔉

きちじょう‐じ【吉祥寺】(キチジャウ‥) 東京都文京区本駒込にある曹洞宗の寺。山号は諏訪山。長禄年間太田道灌が青厳周陽を開山に江戸城の和田倉門内に創建。天正一八年徳川家康が江戸城造営の際水道橋に移し、明暦三年の大火ののち現在地に移転。文禄四年曹洞禅の修学のために旃檀林(せんだんりん)を創始した。 東京都武蔵野市の東部、中央線吉祥寺駅を中心とする一帯の地名。明暦の大火後、吉祥寺門前町の住民がこの地に転居したところから、その名がある。 北九州市八幡西区香月にある浄土宗の寺。山号は誕生山。浄土宗鎮西派の始祖、正宗国師誕生の地。 宮崎県宮崎郡佐土原町にある日蓮宗の寺。山号は恵月山。天正六年佐土原藩主島津以久が、日種を開山に創建。

きちじょう‐そう【吉祥草】(キチジャウサウ)🔗🔉

きちじょう‐そう【吉祥草】(キチジャウサウ) ユリ科の常緑多年草。関東以西の日本各地および中国の陰湿地に生え、観賞用に植栽されることもある。茎は地表をはい、所々からひげ根を降ろし株をつくる。葉は長さ一〇〜三〇センチメートルの線形で二列に互生して束生する。晩秋、葉間から高さ約一〇センチメートルの花茎を出し、一〇個内外の淡紫色の花を穂状につける。花被は六片、長さ約一センチメートルで下半は合生して筒となり上半は分かれて反曲する。穂の下部には両性花、上部には雄の単性花がつく。名は、植栽する家に吉事がある時にのみ開花するとの伝説によるという。きちじょうらん。かんのんそう。きちじょうぼうそう。《季・秋》

きちじょう‐てん【吉祥天】(キチジャウ‥)🔗🔉

きちじょう‐てん【吉祥天】(キチジャウ‥) 仏語。もとバラモン教の女神で、のちに仏教に入った天女。顔かたちが美しく、衆生に福徳を与えるという女神。父は徳叉迦、母は鬼子母神で、北方の毘沙門天の居城に住むとされる毘沙門天の妻(あるいは妹)という。日本では金光明最勝王経会や吉祥悔過会の主尊としてまつられた例が多く、像容はふつう宝冠、天衣をつけ、右手を施無畏印、左手に如意宝珠をのせ、後世も美貌の女神として親しまれる。奈良薬師寺の画像、東大寺法華堂の塑像、京都浄瑠璃寺の木像は特に名高い。吉祥功徳。吉祥天女。吉祥女。吉祥神。きっしょうてん。

きちじょう‐てんにょ【吉祥天女】(キチジャウ‥)🔗🔉

きちじょう‐てんにょ【吉祥天女】(キチジャウ‥) =きちじょうてん(吉祥天)

きちじょうてんにょ‐ほう【吉祥天女法】(キチジャウテンニョホフ)🔗🔉

きちじょうてんにょ‐ほう【吉祥天女法】(キチジャウテンニョホフ) 密教で、吉祥天を本尊として、福徳を祈る修法。

きちじょう‐にち【吉祥日】(キチジャウ‥)🔗🔉

きちじょう‐にち【吉祥日】(キチジャウ‥) =きっしょうにち(吉祥日)

きちじょう‐ぼうそう【吉祥茅草】(キチジャウバウサウ)🔗🔉

きちじょう‐ぼうそう【吉祥茅草】(キチジャウバウサウ) 「きちじょうそう(吉祥草)」の異名。

きちじょう‐らん【吉祥蘭】(キチジャウ‥)🔗🔉

きちじょう‐らん【吉祥蘭】(キチジャウ‥) 「きちじょうそう(吉祥草)」の異名。

きち‐ずい【吉瑞】🔗🔉

きち‐ずい【吉瑞】 めでたいしるし。きつずい。

きつ【吉】🔗🔉

きつ【吉】 1 よいこと。めでたいこと。きち。⇔凶。 2 めでたい時の衣服。吉服。*栄花‐根合「女房などは吉につきて候ふ」

きつ‐えん【吉宴】🔗🔉

きつ‐えん【吉宴】 祝賀の酒宴。祝宴。

きっかわ【吉川】(キッかは)🔗🔉

きっかわ【吉川】(キッかは) 姓氏。藤原経義が祖。駿河国入江庄吉川に住し、吉川氏を称す。鎌倉時代に播磨・安芸の地頭職になり、移住後は安芸本朝庄を本拠とする有力な国衆。応仁の乱には細川方に属し活躍、その後興経に至り、毛利元就の次男元春を養子とする。広家は出雲富岡に住し、隠岐、出雲・伯耆・安芸のうち一一万石を領し、関ヶ原役には徳川氏に通じ、役後毛利氏の保全に尽力し、周防・長門両国を保有させた。のち毛利支封周防岩国を領し明治に至る。

きっかわ‐これたり【吉川惟足】(キッかは‥)🔗🔉

きっかわ‐これたり【吉川惟足】(キッかは‥) 江戸前期の神道家。吉川(よしかわ)神道の祖。本名尼崎屋五郎左衛門。号は湘山隠士・視吾堂。「吉川」は「よしかわ」ともいう。江戸の人。徳川頼宣、保科正之らに信任され、幕府の神道方となる。著に「日本神道学則」など。(一六一六〜九四)

きっかわ‐つねいえ【吉川経家】(キッかはつねいへ)🔗🔉

きっかわ‐つねいえ【吉川経家】(キッかはつねいへ) 室町後期の武将。石見福光城主。幼名千熊丸。通称小太郎。豊臣秀吉に降伏した山名豊国の代わりに鳥取城にはいり、防戦。部下のため秀吉と和して自刃した。(一五四七〜八一)

きっかわ‐つねもと【吉川経幹】(キッかは‥)🔗🔉

きっかわ‐つねもと【吉川経幹】(キッかは‥) 幕末の周防岩国藩主。幼名亀之進。通称監物。宗藩の長州藩主毛利敬親に代わって上京し、攘夷親征を奏請したが、政変によって三条実美ら七卿を守り帰藩。幕府の長州征伐に際し、開戦防止の斡旋に努める。(一八二九〜六九)

きっかわ‐ひろいえ【吉川広家】(キッかはひろいへ)🔗🔉

きっかわ‐ひろいえ【吉川広家】(キッかはひろいへ) 安土桃山・江戸初期の武将。元春の三男。初名経言。通称又次郎。法名如兼。豊臣秀吉、のち徳川家康につく。関ヶ原の戦いの後、宗家毛利氏の領地保持のため奔走。周防岩国六万石に封ぜられる。(一五六一〜一六二五)

きっかわ‐もとはる【吉川元春】(キッかは‥)🔗🔉

きっかわ‐もとはる【吉川元春】(キッかは‥) 安土桃山時代の武将。駿河守。毛利元就の次男。吉川興経の養子。通称少輔次郎。武勇にすぐれ、出雲の尼子氏を破り、山陰の平定に尽力。また織田信長、豊臣秀吉の中国経略に抗戦し、毛利家をたすけた。(一五三〇〜八六)

きっかわ‐れいか【吉川霊華】(キッかはレイクヮ)🔗🔉

きっかわ‐れいか【吉川霊華】(キッかはレイクヮ) 日本画家。本名準。東京生まれ。狩野良信、橋本雅邦に師事し、洋画や大和絵の技法も修得。帝展審査員。和漢の伝説、詩文に題をとり、線描を生かした優雅典麗な作品が多い。「離騒図」など。(一八七五〜一九二九)

きっ‐きょう【吉凶】🔗🔉

きっ‐きょう【吉凶】 よいことと悪いこと。運や縁起のよしあし。「吉凶を占う」 ●吉凶は=糾(あざな)える[=まつわれる]縄(なわ)の如し (晋の孫楚の「征西官属送於陟陽侯作詩」の「吉凶如糾纒、憂喜相紛繞」による)よいことと悪いことは、より合わせた縄のようにかわるがわる来るものである。禍福は糾える縄の如し。 ●吉凶は人によりて日によらず 運のよしあし、成功不成功は人間の行動いかんによるもので、時や日にはよらない。 ●吉凶よし 吉凶の卜(うらない)がよい。縁起がよい。

●吉凶は=糾(あざな)える[=まつわれる]縄(なわ)の如し🔗🔉

●吉凶は=糾(あざな)える[=まつわれる]縄(なわ)の如し (晋の孫楚の「征西官属送於陟陽侯作詩」の「吉凶如糾纒、憂喜相紛繞」による)よいことと悪いことは、より合わせた縄のようにかわるがわる来るものである。禍福は糾える縄の如し。 ●吉凶は人によりて日によらず 運のよしあし、成功不成功は人間の行動いかんによるもので、時や日にはよらない。 ●吉凶よし 吉凶の卜(うらない)がよい。縁起がよい。 きっ‐きょう【喫驚・吃驚】(‥キャウ) 驚くこと。びっくりすること。

●吉凶は人によりて日によらず🔗🔉

●吉凶は人によりて日によらず 運のよしあし、成功不成功は人間の行動いかんによるもので、時や日にはよらない。 ●吉凶よし 吉凶の卜(うらない)がよい。縁起がよい。 きっ‐きょう【喫驚・吃驚】(‥キャウ) 驚くこと。びっくりすること。

●吉凶よし🔗🔉

●吉凶よし 吉凶の卜(うらない)がよい。縁起がよい。 きっ‐きょう【喫驚・吃驚】(‥キャウ) 驚くこと。びっくりすること。

きっ‐けい【吉慶】🔗🔉

きっ‐けい【吉慶】 めでたいこと。祝賀すべきこと。*新十二月往来「新春之吉慶誠以自他幸甚々々」

きっ‐こう【吉行】(‥カウ)🔗🔉

きっ‐こう【吉行】(‥カウ) いくさのための旅などではない、めでたい旅。また、平常の旅行。

きっこう‐やき【吉向焼】(キッカウ‥)🔗🔉

きっこう‐やき【吉向焼】(キッカウ‥) 江戸時代、戸田(吉向)治兵衛が創始した陶器。楽焼風の交趾(こうし)写しが多い。摂津国一三村で焼き始め、諸藩の御庭焼を経て、江戸に出て隅田川焼を始めた。二、三代目は信州須坂藩に招かれ製作した(須坂焼)。

きっさん‐みんちょう【吉山明兆】(‥ミンテウ)🔗🔉

きっさん‐みんちょう【吉山明兆】(‥ミンテウ) 室町初期の画僧。淡路の人。吉山は字、明兆は諱で「みょうちょう」とも。大道一以の法弟として東福寺にはいり、殿司(でんす)職についたので兆殿司と呼ばれる。別号、破草鞋、赤脚子(しゃくきゃんす)。仏画、水墨山水画、頂相等にすぐれ「大涅槃図」「五百羅漢像」「聖一国師像」などの作品がある。(一三五二〜一四三一)

きっ‐し【吉士】🔗🔉

きっ‐し【吉士】 りっぱな男子。

きつ‐じ【吉事】🔗🔉

きつ‐じ【吉事】 =きちじ(吉事)1

きつ‐じ【吉時】🔗🔉

きつ‐じ【吉時】 よい時。めでたい時節。

きっ‐しゅう【吉州】(‥シウ)🔗🔉

きっ‐しゅう【吉州】(‥シウ) 朝鮮半島北東部、咸鏡北道南部の都市。製紙、人絹糸製造の工業が行なわれる。 中国、山西省吉県の古称。金代に呼ばれた。 中国、江西省吉水県の古称。南宋の忠臣、文天祥の生地。

きっしゅう‐よう【吉州窯】(キッシウエウ)🔗🔉

きっしゅう‐よう【吉州窯】(キッシウエウ) 中国、江西省吉安府廬陵県永和鎮にある陶磁器の窯(かま)。唐代から現代に至るまで続いた華南での重要な窯で、南宋時代に作られた玳玻盞(たいひさん)および砕器と呼ばれる青磁が有名。永和窯。

きっ‐しょ【吉所】🔗🔉

きっ‐しょ【吉所】 よい所。よい場所。

きっ‐しょ【吉書】🔗🔉

きっ‐しょ【吉書】 1 吉日良辰を選んで奏聞する儀礼文書。平安・鎌倉・室町時代、公家、武家で、改元、年始、譲位、代替など事が改まった時に奏聞した文書。 2 賦税を怠らないように百姓に与えた定書(さだめがき)。上納の額を記す。 3 「きっしょはじめ(吉書始)」の略。 ●吉書の奏(そう)(そう) 平安以後、年始、代始などに吉書を奏聞した儀式。弁官や蔵人から奏した歳首の奏と、大臣より奏した政始(まつりごとはじめ)の奏とがある。後には上皇、中宮、東宮御所や摂関家などでも行なわれ、鎌倉・室町幕府もこれにならって吉書始を行なった。

●吉書の奏(そう)(そう)🔗🔉

●吉書の奏(そう)(そう) 平安以後、年始、代始などに吉書を奏聞した儀式。弁官や蔵人から奏した歳首の奏と、大臣より奏した政始(まつりごとはじめ)の奏とがある。後には上皇、中宮、東宮御所や摂関家などでも行なわれ、鎌倉・室町幕府もこれにならって吉書始を行なった。 きっしり 〔副〕 1 物がよく適合するさまを表わす語。きっちり。しっくり。きしり。*浄・持統天皇歌軍法‐一「十六文半ではきっしりと合まする」 2 心に強くひびくさまを表わす語。*浮・傾城禁短気‐三「三ぶが魂へきっしりと徹(こた)へ」 3 すきまなくつまっているさまを表わす語。ぎっしり。*詞葉新雅「キッシリトツマル」 (心と心とがしっくりと通じ合った仲、また、その人の意で)情人。安永から天保にかけての語。*滑・太平楽国字解‐三「おまへもよいきっしりをこしらへて」

きっしょ‐あげ【吉書揚】🔗🔉

きっしょ‐あげ【吉書揚】 正月一五日、宮中の例にならい、どんどの火中に書初めを投じて、その灰燼の高く昇るのを筆蹟上達の吉祥として祝った民間の行事。《季・新年》

きっ‐しょう【吉祥】(‥シャウ)🔗🔉

きっ‐しょう【吉祥】(‥シャウ) (「きつじょう」とも)=きちじょう(吉祥)1

きっしょう‐てん【吉祥天】(キッシャウ‥)🔗🔉

きっしょう‐てん【吉祥天】(キッシャウ‥) =きちじょうてん(吉祥天)

きっしょう‐にち【吉祥日】(キッシャウ‥)🔗🔉

きっしょう‐にち【吉祥日】(キッシャウ‥) 陰陽道で、物事を行なうのに吉とする日。

きっしょう‐もんよう【吉祥文様】(キッシャウモンヤウ)🔗🔉

きっしょう‐もんよう【吉祥文様】(キッシャウモンヤウ) 和服や帯地などに使われる、めでたい、縁起のよい文様。松竹梅、桐、牡丹、鶴亀、蝶、獅子、菊、鳳凰など。またこれらを文様化したもの、青海波、流水、源氏車、扇面、貝、宝物などもいう。

きっしょ‐はじめ【吉書始】🔗🔉

きっしょ‐はじめ【吉書始】 1 武家故実の一つ。公家の吉書の奏にならったもので、年頭(多くは正月二日)および仕官、改元あるいは将軍職に新しく補任されたときなどに、慶賀のしるしとして吉書を出した儀式。室町時代には、さらに将軍としてはじめて御判御教書を出す御判始と区別された。 2 正月の書初めに吉であるとされる日。元日が古例。また、書初め。

きっしょ‐ぶぎょう【吉書奉行】(‥ブギャウ)🔗🔉

きっしょ‐ぶぎょう【吉書奉行】(‥ブギャウ) 室町幕府の職名の一つ。吉書を扱った。

きつ‐ずい【吉瑞】🔗🔉

きつ‐ずい【吉瑞】 =きちずい(吉瑞)

きっすい‐いん【吉水院】(‥ヰン)🔗🔉

きっすい‐いん【吉水院】(‥ヰン) 奈良県中部、吉野山にあった僧坊。現在は吉水(よしみず)神社がある。古くは源頼朝に追われた義経が静御前とともに身を寄せ、中世には後醍醐天皇の行在所が置かれた。

きっ‐そう【吉相】(‥サウ)🔗🔉

きっ‐そう【吉相】(‥サウ) 1 吉事のある前ぶれ。吉兆。 2 よい人相。よい相貌。*浄・十二段‐一「御身にはきっそう有。おっつけ時節到来し、げんじの御代と成べきぞ」

きっ‐そう【吉草・纈草】(‥サウ)🔗🔉

きっ‐そう【吉草・纈草】(‥サウ) 「かのこそう(鹿子草)」の異名。

きっ‐そう【吉左右】(‥サウ)🔗🔉

きっ‐そう【吉左右】(‥サウ) (「そう」はたより、しらせの意) 1 よいたより。喜ぶべき通知。吉報。⇔悪左右(あくそう)。 2 =きっそう(吉相)1

きっそう‐おどり【吉左右踊】(キッサウをどり)🔗🔉

きっそう‐おどり【吉左右踊】(キッサウをどり) 1 文禄年間、飛騨国高山の領主金森法印が、豊臣秀吉の征韓の役に従い、肥前国唐津に在陣中、日本軍連勝の吉報を国許に報じた折、領民がこれを祝って踊ったことに始まる踊り。以後、毎年七月に行なわれる。 2 鹿児島県姶良郡加治木町西別府に伝わる太鼓踊りに付随した棒踊り風の踊り。島津義弘が、駿河の念仏踊りを移したものといわれる。

きっそう‐こん【吉草根】(キッサウ‥)🔗🔉

きっそう‐こん【吉草根】(キッサウ‥) 鹿子草の根茎をかわかした、褐色で芳香、苦味のある生薬。ヒステリー、神経衰弱などの鎮静剤として用いられる。纈草根(けっそうこん)。

きっそう‐ゆ【吉草油】(キッサウ‥)🔗🔉

きっそう‐ゆ【吉草油】(キッサウ‥) 鹿子草の根を蒸留して得た油。特殊な香気があり、人工果実エッセンスの原料に用いる。

きっちょむ‐ばなし【吉四六話】🔗🔉

きっちょむ‐ばなし【吉四六話】 大分県地方での笑話の主人公、吉四六に関する種々の話。頓知話を実話風に集めたもの。他地方の彦市話、一休話、おろか村話などにあたる。きちょむばなし。

よ・い【良い・善い・好い・吉い・佳い・宜い】🔗🔉

よ・い【良い・善い・好い・吉い・佳い・宜い】 〔形ク〕よ・し〔形ク〕物事の本性、状態などが好ましく、満足すべきさまである意。「あし」「わるし」に対していう。古くは「よろし」よりも高い評価を表す。くだけた口語表現では終止形・連体形が「いい」の形をとる。 (正邪・善悪の立場から)理にかなっている。正しい。正当である。善である。*書紀‐推古八年二月(岩崎本訓)「強ひて撃つは不可(ヨクもあらし)」*源氏‐帚木‐「いで、およずけたる事は言はぬぞよき」 性質、状態、機能、様子などが比較的、相対的にすぐれていて好ましい。まさっている。 1 すぐれている。立派である。上等である。条件が整っていて、好ましい。「成績がよい」*古今‐仮名序「あき人のよききぬきたらんが如し」 2 美しい。醜くない。奇麗である。優美である。「よい景色」「よい声」*万葉‐三四一一「多胡の嶺に寄せ綱延(は)へて寄すれどもあにくやしづしその顔与吉(ヨキ)に」 3 美味である。*土左「酒、よきものどももてきて、舟にいれたり」 4 健康的である。身体の調子がすぐれている。「持病がよくなる」*蜻蛉‐中「よからずはとのみ思ふ身なれば」 5 賢い。さとい。聡明で立派である。博識である。教養がある。*大唐西域記長寛元年点‐五「謂(おも)みるに寿考を終(を)へなむとし、輔佐(たすけ)の良(ヨキ)もの无し」 6 効果がある。ききめがある。「胃腸によい薬」*西大寺本金光明最勝王経平安初期点‐九「熱を患するには、痢するを良(ヨシ)と為す」 7 身分が高い。家柄がすぐれている。尊貴である。卑しくない。*古今‐八八八「いやしきもよきもさかりはありし物也」*枕‐一一九「よき男のわかきが」 8 家が栄えている。勢力がある。富裕である。*伊勢‐一六「貧しく経ても、猶、昔よかりし時の心ながら」 9 上手である。巧みである。うまい。→よく。*伊勢‐七七「とよみけるを、いま見れば、よくもあらざりけり」 10 こころよい。快適である。楽しい。おもしろい。「気持がよい」*万葉‐一四二一「春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくし与四(ヨシ)も」 11 ほめたたえるべきである。→よいかな。 12 評判がすぐれている。評価が高い。*西大寺本金光明最勝王経平安初期点‐三「嘉(ヨキ)名普く(いた)り、衆に欽仰せられむ」 13 仲がむつまじい。親しい。うとくない。*枕‐七五「契り深くて語らふ人の、末までなかよき人かたし」 14 利益がある。得である。割に合う。有利である。ためになる。「よい条件で買う」*源氏‐賢木「春宮の御為に必ずよからぬ事出で来なんとおぼすに」 15 値が高い。高価である。「値がよい」 16 確かである。「記憶がよい」 めぐりあわせに恵まれる。 1 めでたい。祝うべきである。吉である。縁起が悪くない。「今日は日柄がよい」*宇津保‐国譲下「彼岸の程によき日をとりて」 2 幸いである。幸福である。幸運である。*浄・天神記‐一「よい仕合で、流罪は必定」 あるべきさまである。ふさわしい。 1 適当である。につかわしい。相応である。「年寄によい運動」*書紀‐仁徳二二年正月・歌謡「衣こそ二重も予耆(ヨキ)さ夜床を並べむ君は恐(かしこ)きろかも」 2 時機が適当である。好都合である。折が悪くない。「よい所へ来合わせる」*宇津保‐藤原の君「かの仰せ言は、いとよき折に聞えさせてき」 3 欠けるところがない。不足がない。十分である。「準備はよいか」*虎寛本狂言・文相撲「身拵がよくは、あれへ御出やれ」 4 (転じて、逆説的に)基準を越えている。十分すぎる。→よい年。 同意できる。承認できる。 1 許される。差しつかえがない。許可できる。かまわない。よろしい。*古事記‐下・歌謡「大君し与斯(ヨシ)と聞こさば独り居りとも」*滑・浮世風呂‐二「ソレ吹からに、ネ。よしかへ」 2 仕方なく応ずる。やむをえない。*虎明本狂言・地蔵舞「それならはよう御ざる」 3 然るべきである。賛成である。*竹取「そのおはすらん人々に申し給へと言ふ。よき事なりと承けつ」 よくないことをわざと反対にいう。とんでもない。*宇津保‐藤原の君「この女、よき盗人なり」 動詞の連用形に付いて補助的に用い、しやすい、たやすい、簡単であるなどの意を表す。*万葉‐三七二八「あをによし奈良の大路は行き余家(ヨケ)どこの山道は行き悪しかりけり」 [補注]連用形「よう」「よく」は副詞に転成することもある。→よう・よく。 よ‐が・る(自ラ四)/よ‐げ(形動)/よ‐さ(名) ●良いかな (「善哉(ぜんざい)」など、感嘆の意の語句の訓読み。「よきかな」とも)よいとしてほめたたえる語。*漢書楊雄伝天暦二年点「神明に欽しみしたがふ者、盛なるかな、鑠乎(ヨイかな)」*大慈恩寺三蔵法師伝承徳三年点‐八「猗(ヨキカナ)、調御迦維に迹を騰け、妙道、幽に垂れ、玄源寂を控く」 ●良い肝(きも)を潰(つぶ)す すっかり肝をつぶす。この上もなく驚く。 ●良い子(こ) =いい(好)子 ●良い衆(しゅう・しゅ) 身分・家柄・経済状態などのよい人々。 ●良い年 =いい(好)年 ●良い=星(ほし)[=月日(つきひ)]の下(もと)に生まれる =いい(良)月日の下に生まれる ●良き意志(いし) (ドイツGuter Willeの訳語)カントのことば。自律的に道徳法則だけに従う人間の意志。 ●良きかな ⇒よい(良)かな

よ‐ごと【寿詞・吉言】🔗🔉

よ‐ごと【寿詞・吉言】 1 寿(ほ)ぎ祝うことば。祝いことば。特に、天皇の御代の長久・繁栄を祝うことば。*台記別記‐康治元年一一月二六日・中臣寿詞「天神の寿詞を称辞定奉らくと申す」 2 祈ることば。のりとごと。*竹取「よことをはなちてたちゐ」

よ‐ごと【善事・吉事】🔗🔉

よ‐ごと【善事・吉事】 よい事柄。めでたいこと。*万葉‐四五一六「初春の今日降る雪のいや頻(し)け余其騰(ヨゴト)」

よ・し【良し・善し・好し・吉し・佳し・宜し】🔗🔉

よ・し【良し・善し・好し・吉し・佳し・宜し】 〔形ク〕⇒よい(良)

よしい【吉井】(よしゐ)🔗🔉

よしい【吉井】(よしゐ) 姓氏。

よしい‐いさむ【吉井勇】(よしゐ‥)🔗🔉

よしい‐いさむ【吉井勇】(よしゐ‥) 歌人、劇作家。東京出身。早稲田大学中退。北原白秋らと「スバル」の編集に従事。耽美派の歌人として活躍した。戯曲・小説なども執筆。著「酒ほがひ」「祇園歌集」「午後三時」など。(一八八六〜一九六〇)

よしえ【吉江】🔗🔉

よしえ【吉江】 姓氏。

よしえ‐たかまつ【吉江喬松】🔗🔉

よしえ‐たかまつ【吉江喬松】 詩人、評論家。フランス文学者。長野県出身。号、孤雁。早稲田大学卒。ロシア文学の影響をうけ、浪漫的自然詩人として注目された。早稲田大学に奉職して、仏文科を創設。著「緑雲」「仏蘭西古典劇研究」など。(一八八〇〜一九四〇)

よしおか【吉岡】(よしをか)🔗🔉

よしおか【吉岡】(よしをか) 宮城県黒川郡大和(たいわ)町の中心地。江戸時代は奥州街道新町と古河の間にあった宿駅で、伊達氏三万八千石の城下町として発達。

よしおか【吉岡】(よしをか)🔗🔉

よしおか【吉岡】(よしをか) 姓氏。

よしおか‐けんぼう【吉岡憲法】(よしをかケンバフ)🔗🔉

よしおか‐けんぼう【吉岡憲法】(よしをかケンバフ) 室町末期の吉岡流剣術の創始者。京都今出川に兵法所と呼ばれる道場を持ち、多くの門弟を養った。憲法直元、その子直光、孫直賢は、足利将軍の剣術師範をつとめた。また、直賢が宮本武蔵の父新免無二斎と、その子直綱・直重兄弟が武蔵と試合をしたことは有名。また、憲法染(けんぼうぞめ)の染織家としても知られる。生没年不詳。

よしおか‐ぞめ【吉岡染】(よしをか‥)🔗🔉

よしおか‐ぞめ【吉岡染】(よしをか‥) =けんぼうぞめ(憲法染)

よしおか‐やよい【吉岡弥生】(よしをかやよひ)🔗🔉

よしおか‐やよい【吉岡弥生】(よしをかやよひ) 女医。静岡県出身。東京女子医学校、至誠病院を創設、昭和二七年、東京女子医大学頭に就任。女医養成に力を尽くした。(一八七一〜一九五九)

よしおか‐りゅう【吉岡流】(よしをかリウ)🔗🔉

よしおか‐りゅう【吉岡流】(よしをかリウ) 1 =けんぼうりゅう(憲法流) 2 柔術の一流派。下野宇都宮の人、吉岡宮内左衛門重勝が創始したもの。

よしかわ【吉川】(よしかは)🔗🔉

よしかわ【吉川】(よしかは) 姓氏。

よしかわ‐えいじ【吉川英治】(よしかはエイヂ)🔗🔉

よしかわ‐えいじ【吉川英治】(よしかはエイヂ) 小説家。神奈川県出身。本名英次。少年時代より各種の職業を転々とする。伝奇小説・求道小説・叙事的歴史小説などで大衆文学に独自の分野を開く。小説「鳴門秘帖」「宮本武蔵」「新書太閤記」「新・平家物語」など。(一八九二〜一九六二)

よしかわ‐しんとう【吉川神道】(よしかはシンタウ)🔗🔉

よしかわ‐しんとう【吉川神道】(よしかはシンタウ) 神道の一派。江戸初期に、吉川惟足(きっかわこれたり)が、吉田神道の仏教的傾向を除き、宋儒の説を加味して立てたもの。理学神道。

よしざき‐ごぼう【吉崎御坊】(‥ゴバウ)🔗🔉

よしざき‐ごぼう【吉崎御坊】(‥ゴバウ) 福井県坂井郡金津町吉崎にあった浄土真宗の寺。蓮如が文明三年建立し北陸教化の拠点とした。 の旧跡に現在ある吉崎別院をいう。

よしざき‐べついん【吉崎別院】(‥ベツヰン)🔗🔉

よしざき‐べついん【吉崎別院】(‥ベツヰン) 福井県坂井郡金津町吉崎にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の別院。延宝七年創立。旧称山下道場。大家道場。吉崎御坊。 福井県坂井郡金津町吉崎にある真宗大谷派(東本願寺)の別院。延享四年創立。吉崎御坊。

よしひろ【義広・吉広・義弘】🔗🔉

よしひろ【義広・吉広・義弘】 大山石尊(神奈川県大山寺)参りのときに奉納する木製の納太刀(おさめたち)。「大山石尊大権現(大天狗小天狗)諸願成就」と書き、義広(時には「吉広」「義弘」とも)と銘を入れたところからいう。転じて、木太刀をいう。

よします【吉益】🔗🔉

よします【吉益】 姓氏。

よします‐とうどう【吉益東洞】🔗🔉

よします‐とうどう【吉益東洞】 江戸中期の医者。安芸(広島)の人。名は為則。古医方を主張し、「親試実験」の説を唱え、実証主義的な医学を確立した。著「類聚方」など。(一七〇二〜七三)

よしみ【吉見】🔗🔉

よしみ【吉見】 姓氏。中世能登の豪族。源範頼の子孫。南北朝期に源頼顕が能登守護となり、頼隆がこれを継ぎ、子氏頼とともに足利尊氏に属して北陸を転戦し、軍功をあげた。観応の擾乱のとき一時桃井氏と守護を交代したがまもなくもとにもどり、その後も南朝方の桃井氏と抗争したが、のち桃井氏は敗退した。以後の吉見氏については不詳。

よしみず‐しょうにん【吉水上人】(よしみづシャウニン)🔗🔉

よしみず‐しょうにん【吉水上人】(よしみづシャウニン) (京都東山の吉水に庵居したことから)「ほうねん(法然)」の異称。

よしみ‐の‐ひゃっけつ【吉見の百穴】(‥ヒャクケツ)🔗🔉

よしみ‐の‐ひゃっけつ【吉見の百穴】(‥ヒャクケツ) 埼玉県比企郡吉見町所在の古代の墓。凝灰岩質丘陵の斜面に二三〇個の横穴が群在。人骨・勾玉、管玉、刀、鏃、須恵器、埴輪などが出土した。

よしみ‐ゆきかず【吉見幸和】🔗🔉

よしみ‐ゆきかず【吉見幸和】 江戸中期の神道家、国学者。尾張(愛知県)の人。名古屋東照宮祠官。山崎闇斎に垂加神道を学び、度会(わたらい)、卜部の仏教的神道説を排撃。著に「五部書説弁」「宗廟社稷答問」「神学弁疑」など。(一六七三〜一七六一)

よしや‐がかり【吉屋掛】🔗🔉

よしや‐がかり【吉屋掛】 =よしやふう(吉屋風)

よしや‐ぐみ【吉屋組・義也組】🔗🔉

よしや‐ぐみ【吉屋組・義也組】 江戸初期、旗本奴(はたもとやっこ)の組織した徒党の一つ。三浦小次郎義也を頭目とし、江戸市中を横行した。異装を好み、刀の柄や下げ緒に白を用いたので、俗に白柄(しらつか)組と呼ばれる。

よしや‐ふう【吉屋風】🔗🔉

よしや‐ふう【吉屋風】 江戸初期に行われた異様な男伊達風俗の一種。吉屋がかり。→吉屋組

よしわら【吉原】(よしはら)🔗🔉

よしわら【吉原】(よしはら) 東京にあった遊郭。元和三年江戸市中に散在した遊女屋を葺屋町(ふきやちょう=中央区日本橋堀留付近)に集めて公許。もと葭(よし)が一面にはえていたところから、葭原と俗称されたが、後、吉原と改められた。幕府の命により、明暦三年の大火以後浅草山谷付近(台東区千束)に移転した。これ以前を元吉原、以後を新吉原という。昭和二一年の公娼制度廃止後は、特殊飲食店街のかたちをとり、同三三年の売春防止法施行により消滅した。なか。北国。北里。北州。 静岡県富士市の地名。江戸時代は東海道五十三次、原と蒲原との間の宿駅として発達。江戸時代からの製紙業のほか自動車・繊維工業も盛ん。昭和二三年市制。同四一年富士市と合体。

よしわら‐かご【吉原駕籠】(よしはら‥)🔗🔉

よしわら‐かご【吉原駕籠】(よしはら‥) 江戸吉原の遊郭へ通う遊客を乗せて往来した町駕籠。

よしわら‐かぶり【吉原被】(よしはら‥)🔗🔉

よしわら‐かぶり【吉原被】(よしはら‥) 手拭(てぬぐい)のかぶり方の一つ。手拭を二つに折って頭にのせ、その両端を髷の後ろで結び、前は左右へひろげたもの。新内流し、また遊里を流して歩く芸人、物売りなどに多く見られる。

よしわら‐ぐるい【吉原狂】(よしはらぐるひ)🔗🔉

よしわら‐ぐるい【吉原狂】(よしはらぐるひ) 江戸吉原の遊郭通いに夢中になること。また、その人。

よしわら‐ことば【吉原言葉】(よしはら‥)🔗🔉

よしわら‐ことば【吉原言葉】(よしはら‥) =ありんすことば(―言葉)

よしわら‐さいけん【吉原細見】(よしはら‥)🔗🔉

よしわら‐さいけん【吉原細見】(よしはら‥) 江戸吉原の遊郭の遊女屋、遊女の名・位付、芸者・茶屋・船宿の名、揚代、紋日・名物などを細かく記して毎年発行した案内用の冊子。

よしわら‐すずめ【吉原雀】(よしはら‥)🔗🔉

よしわら‐すずめ【吉原雀】(よしはら‥) 江戸吉原の遊郭にしばしば出入りして、その内情に詳しい人。 歌舞伎所作事「教草吉原雀(おしえぐさよしわらすずめ)」の通称。

よしわら‐にわか【吉原俄】(よしはらにはか)🔗🔉

よしわら‐にわか【吉原俄】(よしはらにはか) (「俄」は「俄狂言」の略)江戸時代、江戸吉原の遊郭で行われた即興の寸劇。明和四年以来毎年八月一日から一か月間行われた。茶屋桐屋伊兵衛が同好の士とともに即興の狂言をこしらえて吉原中を演じ歩いたのが評判となり、引き続いて二、三日、趣向を替えて演じたのが始まりという。

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