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広辞苑の検索結果 (7)
きょうごく【京極】キヤウ‥(地名)🔗⭐🔉
きょうごく【京極】キヤウ‥
京都の地名。平安京で、その最東端の道路を東京極大路(ほぼ今の寺町)、最西端を西京極大路(今の天神川の東側)とした。現在ではもとの東京極、すなわち寺町の東の通りの三条・四条間を新京極といい、商店・映画館などが多い。また今は、西京極は七条通西端付近の地名。
新京極
撮影:的場 啓
⇒きょうごく‐どの【京極殿】

きょうごく【京極】キヤウ‥(姓氏)🔗⭐🔉
きょうごく【京極】キヤウ‥
藤原定家の孫為教ためのりを祖とする和歌の家筋。為教の兄為氏を祖とする保守的な二条家が大覚寺統の信任を得たのに対して、為教の子為兼は持明院統の伏見院の信任を得、語法・表現等の自由を唱えて和歌の革新を叫んだ。為兼と為氏の子二条為世との歌道の主導権をめぐる争いは著名。鎌倉末期、為兼の猶子忠兼に至って絶家したが、その影響を受けた京極派は南北朝時代中期まで存続。玉葉集・風雅集はその代表的撰集。京極家。
⇒きょうごく‐たかつぐ【京極高次】
⇒きょうごく‐ためかね【京極為兼】
きょうごく‐たかつぐ【京極高次】キヤウ‥🔗⭐🔉
きょうごく‐たかつぐ【京極高次】キヤウ‥
安土桃山時代の武将。浅井氏滅亡後、信長・秀吉に仕え、秀吉没後は家康に与くみした。関ヶ原の戦後、若狭小浜藩主。(1563〜1609)
⇒きょうごく【京極】
きょうごく‐ためかね【京極為兼】キヤウ‥🔗⭐🔉
きょうごく‐ためかね【京極為兼】キヤウ‥
(タメカヌとも)鎌倉末期の歌人。藤原定家の曾孫。祖父為家に歌を学ぶ。伏見天皇に重用され、「玉葉集」を撰。革新的で、二条家の為世と抗争。佐渡・土佐に流された。歌論書「為兼卿和歌抄」。(1254〜1332)
⇒きょうごく【京極】
きょうごく‐どの【京極殿】キヤウ‥🔗⭐🔉
きょうごく‐どの【京極殿】キヤウ‥
京都の東京極大路に面した邸宅の汎称。藤原道長の邸宅だった土御門京極殿が著名。
⇒きょうごく【京極】
きょうごく‐の‐うえ【京極上】キヤウ‥ウヘ🔗⭐🔉
きょうごく‐の‐うえ【京極上】キヤウ‥ウヘ
宇津保物語中の女性。清原俊蔭の女むすめで藤原仲忠の母。父から受けた琴きんの秘曲・秘器を仲忠に伝授。
きょう‐はて【京極・京終】キヤウ‥🔗⭐🔉
きょう‐はて【京極・京終】キヤウ‥
(→)「きょうごく」に同じ。
大辞林の検索結果 (7)
きょう-ごく【京極】🔗⭐🔉
きょう-ごく キヤウ― 【京極】
(1)古代都城制における縁辺部。
(2)特に,平安京の東西の両端。東端に東京極大路,西端に西京極大路が南北に貫いていた。きょうはて。
(3)京都市の新京極の通称。
きょうごく-どの【京極殿】🔗⭐🔉
きょうごく-どの キヤウ― 【京極殿】
平安京の東京極大路に面した邸宅。藤原道長・後鳥羽院の邸などが有名。
きょうごく【京極】🔗⭐🔉
きょうごく キヤウゴク 【京極】
姓氏の一。
(1)宇多源氏。近江の佐々木氏の一流。室町時代の有力守護大名。四職の一。応仁の乱後は衰退。
(2)藤原北家御子左流の為家の子為教を祖とする歌道の家。
きょうごく-たかつぐ【京極高次】🔗⭐🔉
きょうごく-たかつぐ キヤウゴク― 【京極高次】
(1563-1609) 安土桃山・江戸初期の武将。近江の人。大津城主。織田信長・豊臣秀吉に仕えた。妻は淀君の妹。関ヶ原の戦いでは徳川方につき,若狭小浜に八万五千石を与えられた。
きょうごく-ためかね【京極為兼】🔗⭐🔉
きょうごく-ためかね キヤウゴク― 【京極為兼】
(1254-1332) 鎌倉後期の歌人。本姓藤原氏。為教の子。平明な二条派歌風に対立し,万葉集に依拠した清新な歌風で知られる。伏見院の命を受け「玉葉和歌集」を撰進。歌論書「為兼卿和歌抄」,家集「為兼卿家集」「為兼卿遠所詠歌」がある。
きょうごく-は【京極派】🔗⭐🔉
きょうごく-は キヤウゴク― 【京極派】
鎌倉後期から南北朝中期にかけて京極為兼を中心とした和歌の一流派。藤原為氏・為世らの二条派に対抗し,持明院統の廷臣と後宮を地盤として清新な叙景歌に特色をみせた。「玉葉和歌集」「風雅和歌集」の両集にその作風がみられる。為兼流。
きょうごく-の-うえ【京極上】🔗⭐🔉
きょうごく-の-うえ キヤウゴク―ウヘ 【京極上】
「宇津保物語」の作中人物。清原俊蔭女。藤原兼雅との一夜の契りに仲忠を宿す。
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