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広辞苑の検索結果 (10)

あきひと‐しんのう【彰仁親王】‥ワウ🔗🔉

あきひと‐しんのう彰仁親王‥ワウ 伏見宮邦家親王第8王子。初めの名は嘉彰。小松宮と改称。維新政府では議定・軍事総裁。英国留学後、陸軍に入り、参謀総長。元帥。(1846〜1903)

しょうぎ‐たい【彰義隊】シヤウ‥🔗🔉

しょうぎ‐たい彰義隊シヤウ‥ 慶応4年(1868)2月、旧幕臣が江戸で結成した隊。最盛期は2000人ほど。新政府に反抗的な態度をとったが、5月の上野戦争で討滅された。

しょう‐げん【彰顕】シヤウ‥🔗🔉

しょう‐げん彰顕シヤウ‥ あきらかにあらわれること。あきらかにあらわすこと。

しょう‐こ【彰乎】シヤウ‥🔗🔉

しょう‐こ彰乎シヤウ‥ あきらかなさま。彰々。

しょう‐こう【彰功】シヤウ‥🔗🔉

しょう‐こう彰功シヤウ‥ 功績を表彰すること。

しょうこう‐かん【彰考館】シヤウカウクワン🔗🔉

しょうこう‐かん彰考館シヤウカウクワン 水戸藩主徳川光圀みつくにが設けた「大日本史」の編纂所。1657年(明暦3)江戸駒込別邸に史局を開いて事業を開始し、72年(寛文12)小石川の本邸に移し彰考館と命名。1830年(天保1)大部分を水戸に移す。79年(明治12)偕楽園内に移転し、のち彰考館文庫を新築。第二次大戦で7万冊余の蔵書の大半を焼失。

しょう‐しょう【章章・彰彰】シヤウシヤウ🔗🔉

しょう‐しょう章章・彰彰シヤウシヤウ あきらかなさま。明白なさま。

しょう‐とく【彰徳】シヤウ‥🔗🔉

しょう‐とく彰徳シヤウ‥ 徳を世にあらわすこと。

しょうとく【彰徳】シヤウ‥(地名)🔗🔉

しょうとく彰徳シヤウ‥ 中国の都市、安陽あんようの旧称。

[漢]彰🔗🔉

 字形  筆順 〔彡部11画/14画/常用/3020・3E34〕 〔音〕ショウ〈シャウ〉(呉)(漢) 〔訓〕あらわす・あきらか (名)あき・あきら [意味] はっきりと目だたせる。あきらかにする。あらわす。「彰徳・表彰・顕彰」 [解字] 形声。音符「章」(=くぎりをつけて目だたせる)+「彡」(=あや模様)。「章」が多く「文章」の意に用いられるようになったので、「彡」を加えて区別した。

大辞林の検索結果 (7)

あきひと-しんのう【彰仁親王】🔗🔉

あきひと-しんのう ―シンワウ 【彰仁親王】 (1846-1903) 伏見宮邦家親王の第八王子。維新後,東伏見宮と称し,さらに小松宮と改称。軍事総裁・陸軍大将・元帥などを務めた。

しょうぎ-たい【彰義隊】🔗🔉

しょうぎ-たい シヤウギ― 【彰義隊】 1868年,徳川慶喜側近の旧幕臣を中心として結成した有志隊。慶喜護衛・江戸警備の名目で上野寛永寺に拠ったが,大村益次郎指揮の官軍によって壊滅。

しょう-げん【彰顕】🔗🔉

しょう-げん シヤウ― [0] 【彰顕】 あきらかにあらわれること。あきらかにあらわすこと。顕彰。

しょう-こう【彰功】🔗🔉

しょう-こう シヤウ― [0] 【彰功】 人の功績を世に知らせること。

しょうこう-かん【彰考館】🔗🔉

しょうこう-かん シヤウカウクワン 【彰考館】 水戸藩主徳川光圀が「大日本史」編纂のため設立した編纂局。初め江戸に置かれ,光圀の死後水戸にも設けられたが,1829年徳川斉昭が水戸に統合。水戸学の中心となった。「大日本史」完成後,彰考館文庫として今日に至る。

しょう-しょう【章章・彰彰】🔗🔉

しょう-しょう シヤウシヤウ [0] 【章章・彰彰】 (形動タリ) 明白なさま。「善悪報応因果覿面(テキメン)の天理―として/読本・双蝶記」

しょう-とく【彰徳】🔗🔉

しょう-とく シヤウ― [0] 【彰徳】 人の善行を世間に広く知らせること。また,その善行。

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