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広辞苑の検索結果 (9)

らい‐こう【来迎】‥カウ🔗🔉

らい‐こう来迎‥カウ ⇒らいごう

らい‐ごう【来迎】‥ガウ🔗🔉

らい‐ごう来迎‥ガウ (ライコウとも) ①〔仏〕臨終の際、仏・菩薩がこれを迎えに来ること。特に浄土門でいう。末灯鈔「臨終をまつことなし。―をたのむことなし」 ②(→)御来迎ごらいごう3に同じ。 ⇒らいごう‐いんじょう【来迎引接】 ⇒らいごう‐かべ【来迎壁】 ⇒らいごう‐ず【来迎図】 ⇒らいごう‐の‐さんぞん【来迎の三尊】 ⇒らいごう‐ばしら【来迎柱】

らいごう‐いん【来迎院】‥ガウヰン🔗🔉

らいごう‐いん来迎院‥ガウヰン 京都市左京区大原にある天台宗の寺。山号は魚山。別称、大原寺。仁寿(851〜854)年間円仁の創建と伝え、天台声明しょうみょうの発祥地。1094年(嘉保1)融通念仏宗開祖の良忍が隠棲して再興。

らいごう‐いんじょう【来迎引接】‥ガウ‥ゼフ🔗🔉

らいごう‐いんじょう来迎引接‥ガウ‥ゼフ 阿弥陀仏が来迎して、衆生を救いとって極楽浄土に導くこと。迎接ごうしょう。引接。梁塵秘抄「一度御名を称となふれば、―疑はず」 ⇒らい‐ごう【来迎】

らいごう‐かべ【来迎壁】‥ガウ‥🔗🔉

らいごう‐かべ来迎壁‥ガウ‥ 仏堂内で、本尊を安置する仏壇の後方にある壁。 ⇒らい‐ごう【来迎】

らいごう‐じ【来迎寺】‥ガウ‥🔗🔉

らいごう‐じ来迎寺‥ガウ‥ 滋賀県大津市にある天台宗の寺。790年(延暦9)最澄開創の地蔵教院を、1001年(長保3)源信が再興して改称したと伝える。鎌倉後期の六道絵をはじめ名宝が多い。聖衆しょうじゅ来迎寺。

らいごう‐ず【来迎図】‥ガウヅ🔗🔉

らいごう‐ず来迎図‥ガウヅ 平安中期からの浄土信仰に基づく仏画で、西方浄土の阿弥陀如来が衆生を救うため諸菩薩すなわち聖衆しょうじゅや天人を従えて人間世界へ下降するさまを描いたもの。阿弥陀来迎図。ほかに弥勒来迎図などもある。 ⇒らい‐ごう【来迎】

らいごう‐の‐さんぞん【来迎の三尊】‥ガウ‥🔗🔉

らいごう‐の‐さんぞん来迎の三尊‥ガウ‥ 来迎する阿弥陀仏と観音・勢至せいしの二菩薩。 ⇒らい‐ごう【来迎】

らいごう‐ばしら【来迎柱】‥ガウ‥🔗🔉

らいごう‐ばしら来迎柱‥ガウ‥ 仏堂内で、来迎壁の左右にある柱。 ⇒らい‐ごう【来迎】

大辞林の検索結果 (10)

らい-ごう【来迎】🔗🔉

らい-ごう ―ガウ [0] 【来迎】 〔「らいこう」とも〕 (1)浄土教で,人が死ぬ際に一心に念仏すると,阿弥陀仏や菩薩が迎えにやって来ることをいう。 →臨終正念 (2) ⇒御来迎(ゴライゴウ)(3)

らいごう-いんじょう【来迎引接】🔗🔉

らいごう-いんじょう ―ガウ―ゼフ [0] 【来迎引接】 阿弥陀仏や菩薩が来迎し,衆生(シユジヨウ)を極楽へ導き,救済すること。

らいごう-え【来迎会】🔗🔉

らいごう-え ―ガウ [3] 【来迎会】 〔仏〕 浄土信仰で,阿弥陀仏が死者を救済するために来迎する様を演ずる法会。迎え講。 →練(ネ)り供養(クヨウ)

らいごう-かべ【来迎壁】🔗🔉

らいごう-かべ ―ガウ― [3] 【来迎壁】 仏堂で,本尊を安置する須弥壇(シユミダン)の後ろにある壁。

らいごう-ず【来迎図】🔗🔉

らいごう-ず ―ガウヅ [3] 【来迎図】 平安中期の浄土信仰に基づく仏画。主に阿弥陀仏が諸菩薩を従えて衆生(シユジヨウ)を極楽浄土に救うため,人間世界へ迎えに下降して来る姿を描いたもの。

らいごう-の-さんぞん【来迎の三尊】🔗🔉

らいごう-の-さんぞん ―ガウ― 【来迎の三尊】 浄土から来迎した姿をとった阿弥陀三尊。

らいごう-ばしら【来迎柱】🔗🔉

らいごう-ばしら ―ガウ― [5] 【来迎柱】 仏堂で,来迎壁の左右にある柱。古くは須弥壇の四隅にあった柱をいった。

らいごう-わさん【来迎和讃】🔗🔉

らいごう-わさん ―ガウ― [5] 【来迎和讃】 三尊の来迎を讃談し,念仏を勧めた和讃。源信の作と伝える。

らいごう-いん【来迎院】🔗🔉

らいごう-いん ライガウン 【来迎院】 京都市左京区大原にある天台宗の寺。山号,魚山。仁寿年間(851-854)円仁の開創。1095年良忍の中興。梵唄(ボンバイ)声明の発祥地として有名。

らいごう-じ【来迎寺】🔗🔉

らいごう-じ ライガウ― 【来迎寺】 大津市下坂本にある天台宗の寺。山号,紫雲山。790年最澄が開創した地蔵教院に始まる。1001年源信が当寺で水想観により聖衆来迎(シヨウジユライゴウ)を感得し現寺名に改称。以後,専修念仏道場として栄えた。聖衆来迎寺。

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