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らい‐ごう【来迎】(‥ガウ)🔗⭐🔉
らい‐ごう【来迎】(‥ガウ)
(近世中ごろまでは「らいこう」)
1 (―する)仏語。念仏行者の臨終に、阿弥陀仏が聖衆とともに迎えに来て浄土に連れて行くこと。真宗では、阿弥陀仏の本願によって、念仏者が浄土に帰って来るのを仏が待ち迎えることをいう。御来迎。
2 =ごらいごう(御来迎)234
●来迎の三尊(さんぞん)
来迎する阿弥陀仏と観音・勢至の二菩薩。また、その来迎のさまを現した三体の仏像。
●来迎の三尊(さんぞん)🔗⭐🔉
●来迎の三尊(さんぞん)
来迎する阿弥陀仏と観音・勢至の二菩薩。また、その来迎のさまを現した三体の仏像。
らいごう【頼豪】(ライガウ)
平安中期の天台宗の僧。伊賀国守藤原有家の子。近江の園城寺に住し、号は実相坊。白河天皇の勅を受け皇子降誕を祈祷し敦文親王の出生をみ、恩賞として園城寺戒壇造立を請うたが叡山の異議により許されず、深くこれを恨み断食、遂に飢えて没した。この怨念は伝説化され「源平盛衰記」「平家物語」などに伝えられる。(一〇〇二〜八四)
らいごう‐いん【来迎院】(ライガウヰン)🔗⭐🔉
らいごう‐いん【来迎院】(ライガウヰン)
京都市左京区大原にある天台宗の寺。山号は魚山。仁寿年間円仁が開創。梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)の道場で、宮中法会の主職を参勤。中国の天台山を模し一峰の名を山号とする。嘉保二年良忍が中興し、融通念仏根源の聖地ともなっている。大原寺。
らいごう‐いんじょう【来迎引接】(ライガウインゼフ)🔗⭐🔉
らいごう‐いんじょう【来迎引接】(ライガウインゼフ)
仏語。阿弥陀仏が菩薩らと来迎して、衆生を極楽浄土へ導くこと。引接。迎接(ごうしょう)。
らいごう‐かべ【来迎壁】(ライガウ‥)🔗⭐🔉
らいごう‐かべ【来迎壁】(ライガウ‥)
仏堂の内部にある仏壇の後方の壁。
らいごう‐じ【来迎寺】(ライガウ‥)🔗⭐🔉
らいごう‐じ【来迎寺】(ライガウ‥)
滋賀県大津市にある聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)のこと。
大阪府松原市にある融通念仏宗の寺。山号は諸仏山。天平一三年明開が草創し護法山多聞院と号する。天徳年間法明が中興。のち後鳥羽天皇の勅願で良忍が復興し阿弥陀寺と称したが、正中元年現名に改称。
兵庫県神戸市兵庫区にある浄土宗西山禅林寺派の寺。山号は経島山。平清盛が大輪田泊を修築した時、進んで人柱となった大井民部の子松王を弔って建立したと伝えられる。



らいごう‐ず【来迎図】(ライガウヅ)🔗⭐🔉
らいごう‐ず【来迎図】(ライガウヅ)
平安中期以降の浄土信仰による仏画。阿弥陀如来が、諸菩薩を従えて、念仏者を浄土に迎えるために人間世界へ下降するさまを描いたもの。特に鎌倉時代に多く描かれた。
らいごう‐ばしら【来迎柱】(ライガウ‥)🔗⭐🔉
らいごう‐ばしら【来迎柱】(ライガウ‥)
仏堂内部で、仏壇の後方にある来迎壁の柱。
らいごうわさん【来迎和讚】(ライガウ‥)🔗⭐🔉
らいごうわさん【来迎和讚】(ライガウ‥)
阿弥陀仏の来迎を賛嘆し、念仏を勧化(かんげ)した和讚。恵心僧都(源信)の作といわれる。
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