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広辞苑の検索結果 (9)

み‐と【水門・水戸】🔗🔉

み‐と水門・水戸】 (トは入口の意) ①海水の出入口。また、大河の海に入る所。みなと。土佐日記「阿波の―を渡る」 ②堰いせき。すいもん。〈倭名類聚鈔10

みと【水戸】(地名)🔗🔉

みと水戸】 茨城県中部の市。県庁所在地。那珂川の南に位置する、もと徳川氏35万石の城下町。城址には弘道館・孔子廟があり、偕楽園も有名。水府。人口26万3千。

みと‐おしき【水戸折敷】‥ヲ‥🔗🔉

みと‐おしき水戸折敷‥ヲ‥ 粟野膳あわのぜんの別称。

みと‐かいどう【水戸街道】‥ダウ🔗🔉

みと‐かいどう水戸街道‥ダウ 江戸から水戸に至る街道。日光街道に付属し、千住・金町・松戸・土浦などを経る。現在も国道6号線の一部の通称。岩城いわき相馬街道とつながり、併せて浜街道・陸前浜街道と称する。水戸道。

みと‐がく【水戸学】🔗🔉

みと‐がく水戸学】 江戸時代、水戸藩で興隆した学派。儒学・国学・史学・神道を基幹とした国家意識を特色とし、藩主徳川光圀の「大日本史」編纂に由来するが、特色ある学風を形成したのは寛政(1789〜1801)年間以降。藤田幽谷・会沢正志斎らが代表的人物。尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。

みと‐け【水戸家】🔗🔉

みと‐け水戸家】 徳川氏三家の一つ。江戸時代に常陸を領し、徳川家康の第11子頼房を祖とする。石高28万石、綱条つなえだの時から35万石。

みと‐こうもん【水戸黄門】‥クワウ‥🔗🔉

みと‐こうもん水戸黄門‥クワウ‥ (黄門すなわち中納言であったからいう)徳川光圀みつくにの異称。

みと‐ぼり【水戸彫】🔗🔉

みと‐ぼり水戸彫】 彫金の一派。また、その作品。水戸の彫金工明石与太夫を祖とする。古くは地磨に高彫を通例としたが、後に魚子ななこを蒔き、奈良風をうつした。

みと‐まつり【水戸祭】🔗🔉

みと‐まつり水戸祭】 水口みなくち祭のこと。

大辞林の検索結果 (10)

み-と【水門・水戸】🔗🔉

み-と 【水門・水戸】 〔「と」は入り口の意〕 (1)海水の出入りする狭い所。また,大河の海にはいる所。みなと。「夜なかばかりに舟を出だして阿波の―を渡る/土左」 (2)堰(イゼキ)。すいもん。[和名抄]

みと【水戸】🔗🔉

みと 【水戸】 茨城県中部の市。県庁所在地。中世,佐竹氏の城下町。江戸初期,御三家の一つ水戸徳川氏が入府。水戸城趾・偕楽園・弘道館などがある。昔,那珂川の河港であった。水府。

みと-かいどう【水戸街道】🔗🔉

みと-かいどう ―カイダウ 【水戸街道】 江戸時代,江戸から金町・松戸などを経て水戸に至る街道。

みと-がく【水戸学】🔗🔉

みと-がく [2] 【水戸学】 水戸徳川家の史局,彰考館に代々伝えられてきた儒学・史学を基盤に,国学・神道の要素をも包括して一九世紀前半に成立した学派。藤田幽谷からその子東湖らに継承され,天保年間(1830-1844)の藩制改革期に政治思想として発展を遂げ,幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。

みと-ぎこう【水戸義公】🔗🔉

みと-ぎこう 【水戸義公】 徳川光圀(ミツクニ)の尊称。義公は光圀の諡号(シゴウ)。

みと-け【水戸家】🔗🔉

みと-け 【水戸家】 徳川御三家の一。徳川家康の第一一子頼房を祖とする。常陸(ヒタチ)国を領し,三五万石。

みと-こうもん【水戸黄門】🔗🔉

みと-こうもん ―クワウモン 【水戸黄門】 徳川光圀(ミツクニ)の通称。光圀が中納言(唐名,黄門)であったからいう。

みと-せん【水戸線】🔗🔉

みと-せん 【水戸線】 JR 東日本の鉄道線。栃木県小山と茨城県友部間,50.2キロメートル。沿線に笠間・結城などがある。

みと-ぼり【水戸彫】🔗🔉

みと-ぼり [0] 【水戸彫】 江戸中期,軍地功阿弥を祖とし水戸で発展した金工の技法。鏨(タガネ)づかいの精妙さと高肉彫りを特徴とした。北川北仙・海野勝・清父子らによって現代に継承された。

みと-れっこう【水戸烈公】🔗🔉

みと-れっこう 【水戸烈公】 徳川斉昭(ナリアキ)の尊称。烈公は斉昭の諡号(シゴウ)。

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