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広辞苑の検索結果 (6)

せい‐わ【清和】🔗🔉

せい‐わ清和】 ①世の中がおさまっておだやかなこと。 ②空が晴れて清らかにあたたかい時節。すなわち春の時節。 ③陰暦4月朔日の異称。

せいわ‐いん【清和院】‥ヰン🔗🔉

せいわ‐いん清和院‥ヰン 京都市上京区にある真言宗の寺。9世紀半ば平安京北東辺の藤原良房邸の南半分が清和天皇の後院とされたのに始まる。世々皇子親王の住院であったが、鎌倉時代に仏寺化。後水尾天皇の時、今の地に移建。清和井院せがいいん

せいわ‐げんじ【清和源氏】🔗🔉

せいわ‐げんじ清和源氏】 清和天皇から出て源氏を賜った氏。天皇の皇子貞固・貞保・貞元・貞純・貞数・貞真の諸親王に賜ったが、貞純親王の子と称する経基や孫の満仲は鎮守府将軍に、その子孫頼朝は征夷大将軍に任ぜられた。→源みなもと(系図)

せいわ‐てんのう【清和天皇】‥ワウ🔗🔉

せいわ‐てんのう清和天皇‥ワウ 平安前期の天皇。文徳天皇の第4皇子。母は藤原明子。名は惟仁これひと。水尾帝とも。幼少のため外祖父藤原良房が摂政となる。仏道に帰依し、879年(元慶3)落飾。法諱は素真。(在位858〜876)(850〜880)→天皇(表) ○精を入るせいをいる 精力をそそぐ。熱心にする。謡曲、船弁慶「皆々精を入れて押し候へ」 ⇒せい【精】 ○姓を冒すせいをおかす 他の姓を称する。 ⇒せい【姓】 ○制を称すせいをしょうす [史記呂太后本紀]天子でない者が、天子に代わってみことのりを称となえ、政を執る。称制。 ⇒せい【制】 ○精を出すせいをだす 根気よく働く。熱心に励む。 ⇒せい【精】 ○制を矯むせいをたむ [史記斉悼恵王世家]天子の勅といつわる。 ⇒せい【制】 ○贅を尽くすぜいをつくす できるかぎりの贅沢をする。 ⇒ぜい【贅】 ○生を偸むせいをぬすむ 死すべき時に死なずに恥をしのんで生きながらえる。いのちをむさぼる。 ⇒せい【生】 ○精を励ますせいをはげます 非常に勉励する。 ⇒せい【精】 ○生を視ること死の如しせいをみることしのごとし [列子仲尼]生死に執着せず、天命に安んずる。 ⇒せい【生】

せが‐い【清和井】‥ヰ🔗🔉

せが‐い清和井‥ヰ ①汲み取るためにせき止めた清水。 ②京都市西京区大原野にあった井。神楽歌、採物「大原や―の清水」

せがい‐いん【清和井院】‥ヰヰン🔗🔉

せがい‐いん清和井院‥ヰヰン 清和院せいわいんの別称。

大辞林の検索結果 (6)

せい-わ【清和】🔗🔉

せい-わ [1] 【清和】 (名・形動)[文]ナリ (1)空が晴れて気候が穏やかな・こと(さま)。「日本は気候―にして/新聞雑誌 58」 (2)陰暦四月一日,また四月の異名。「―の天雲なく晴れて/父の終焉日記」

せいわ-だいがく【清和大学】🔗🔉

せいわ-だいがく 【清和大学】 私立大学の一。1993年(平成5)設立。本部は木更津市。

せいわ-いん【清和院】🔗🔉

せいわ-いんン 【清和院】 京都市上京区七本松にある真言宗智山派の寺。仁寿年間(851-854)文徳天皇が皇后染殿のために創建した仏心院に始まる。清和天皇が譲位後入山し,現在名に改称。清和井(セガイ)院。勢賀院。感応寺。

せいわ-げんじ【清和源氏】🔗🔉

せいわ-げんじ 【清和源氏】 清和天皇から出た源氏。天皇の諸皇子に源姓を賜ったが,第六皇子貞純親王の皇子経基(ツネモト)王の系統が代表的存在。王の子満仲は摂津多田荘に土着,さらにその子頼光は摂関家と結んで勢力を伸ばした。頼義・義家は関東に進出,頼朝は鎌倉幕府を開くなど,子孫は各地に繁栄。佐竹・武田・平賀・新田・足利の諸氏はいずれもこの流れに入る。 →清和源氏[表]

せいわ-てんのう【清和天皇】🔗🔉

せいわ-てんのう ―テンワウ 【清和天皇】 (850-880) 第五六代天皇(在位 858-876)。名は惟仁(コレヒト)。文徳天皇第四皇子。八歳で即位。外祖父藤原良房が初めて人臣摂政となった。水尾帝(ミズノオテイ)。

せがい-いん【清和井院】🔗🔉

せがい-いん セガン 【清和井院】 ⇒清和院(セイワイン)

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