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たちばな【橘】🔗⭐🔉
たちばな【橘】
1 生食されたミカンの古名。キシュウミカンやコウジに類する。京都御所の紫宸殿(ししんでん)の南階下の西側にある「右近(うこん)の橘」はこれという。《季・新年》*万葉‐四一一一「多知波奈(タチバナ)の成れるその実は」
2 ミカン科の常緑低木。日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。高さ三〜四メートル。枝は密生し小さなとげがある。葉は長さ三〜六センチメートルの楕円状披針形で先はとがらず縁に鋸歯がある。葉柄の翼は狭い。初夏、枝先に白い五弁花を開く。果実は径二〜三センチメートルの扁球形で一一月下旬〜一二月に黄熟するが、肉は苦く酸味が強いので生食できない。台湾では調味料に用いる。やまとたちばな。にほんたちばな。
3 「からたちばな(唐橘)」の異名。
4 =はなたちばな(花橘)
5 紋所の名。橘の葉と実とを組み合わせて図案化したもの。橘姓(橘諸兄)の紋にはじまるといい、久世・井伊・黒田家と日蓮宗(日蓮の出自は井伊家の分家の貫名家という)の紋となる。橘、向い橘、杏葉(ぎょうよう)橘、枝橘など種々ある。
6 香の名。質は伽羅、あるいは真南蛮という。
奈良県高市郡明日香村の地名。飛鳥川の上流。橘寺(菩提寺)がある。
山口県南東部、大島(屋代島)にある地名。大島ミカンの栽培が盛ん。古い港町の安下庄は現在も漁港として栄えている。
1 生食されたミカンの古名。キシュウミカンやコウジに類する。京都御所の紫宸殿(ししんでん)の南階下の西側にある「右近(うこん)の橘」はこれという。《季・新年》*万葉‐四一一一「多知波奈(タチバナ)の成れるその実は」
2 ミカン科の常緑低木。日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。高さ三〜四メートル。枝は密生し小さなとげがある。葉は長さ三〜六センチメートルの楕円状披針形で先はとがらず縁に鋸歯がある。葉柄の翼は狭い。初夏、枝先に白い五弁花を開く。果実は径二〜三センチメートルの扁球形で一一月下旬〜一二月に黄熟するが、肉は苦く酸味が強いので生食できない。台湾では調味料に用いる。やまとたちばな。にほんたちばな。
3 「からたちばな(唐橘)」の異名。
4 =はなたちばな(花橘)
5 紋所の名。橘の葉と実とを組み合わせて図案化したもの。橘姓(橘諸兄)の紋にはじまるといい、久世・井伊・黒田家と日蓮宗(日蓮の出自は井伊家の分家の貫名家という)の紋となる。橘、向い橘、杏葉(ぎょうよう)橘、枝橘など種々ある。
6 香の名。質は伽羅、あるいは真南蛮という。
奈良県高市郡明日香村の地名。飛鳥川の上流。橘寺(菩提寺)がある。
山口県南東部、大島(屋代島)にある地名。大島ミカンの栽培が盛ん。古い港町の安下庄は現在も漁港として栄えている。
たちばな【橘】🔗⭐🔉
たちばな【橘】
姓氏。古代の名族。敏達天皇の子孫美努王の妻、県犬養(あがたいぬかいの)三千代が橘宿禰の姓を賜い、その死後子の葛城王と佐為王が臣籍となり橘宿禰を称す。葛城王は名を諸兄と改め左大臣に昇った。のち藤原氏が台頭したため子の奈良麻呂は藤原氏打倒を画したが失敗。平安時代に奈良麻呂の子内舎人清友の息女嘉智子が嵯峨天皇の皇后(仁明天皇の母)となり、弟氏公は右大臣に昇進したが、承和の変で逸勢が流罪になって衰退した。後世、源・平・藤・橘の四姓としてこの姓を称したものが多い。
たちばな【立花】🔗⭐🔉
たちばな【立花】
姓氏。藤原北家流、大友氏の一族。大友貞載が筑前国立花城に拠り立花氏を称す。宗茂は豊臣秀吉の九州征伐にはその配下に属し柳川城主となる。関ケ原役には豊臣方に属し所領没収。のち奥州棚倉を与えられ、大坂の陣の戦功により本領柳川に戻り、一〇万九千石余を領し明治に至る。陸奥下手渡領主立花氏は分家。
たちばな【橘樹】🔗⭐🔉
たちばな【橘樹】
武蔵国の郡名。現在の神奈川県横浜市の北東部から川崎市の大部分にあたる。
たちばな‐あけみ【橘曙覧】🔗⭐🔉
たちばな‐あけみ【橘曙覧】
幕末の歌人。越前国(福井県)の人。姓を井手ともいい、志濃夫廼舎(しのぶのや)と号す。赤貧に甘んじて、王政復古を希求。万葉調の気品ある歌を詠んで、良寛とともに幕末歌人の異彩とうたわれた。著「志濃夫廼舎歌集」「沽哉集」など。(一八一二〜六八)
たちばな‐えなお【橘枝直】(‥えなほ)🔗⭐🔉
たちばな‐えなお【橘枝直】(‥えなほ)
⇒かとうえなお(加藤枝直)
たち‐ばなし【立話】🔗⭐🔉
たち‐ばなし【立話】
立ったままで話すこと。またそのちょっとした話。
たちばな‐しんとう【橘神道】(‥シンタウ)🔗⭐🔉
たちばな‐しんとう【橘神道】(‥シンタウ)
1 京都梅宮の世襲祠官である橘氏に伝わったという神道。垂加神道に近いもの。
2 江戸中期に肥前国(長崎県)平戸の人橘三喜が主唱した神道の一派。神儒仏を折衷したもの。
たちばな‐ちかげ【橘千蔭】🔗⭐🔉
たちばな‐ちかげ【橘千蔭】
⇒かとうちかげ(加藤千蔭)
たちばな‐づき【橘月】🔗⭐🔉
たちばな‐づき【橘月】
陰暦五月の異称。
たちばな‐でら【橘寺】🔗⭐🔉
たちばな‐でら【橘寺】
奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺、菩提寺の俗称。山号は仏頭山。聖徳太子誕生の地で太子創建の七寺の一つと伝えられる。古くは六十余の堂塔をそなえた大寺であったが、現在は元治元年再興の本堂(太子殿)・経堂・観音堂などを残す。
たちばな‐どり【橘鳥】🔗⭐🔉
たちばな‐どり【橘鳥】
「ほととぎす(杜鵑)」の異名。
たちばな‐なんけい【橘南谿】🔗⭐🔉
たちばな‐なんけい【橘南谿】
江戸中期の医者、文人。伊勢国(三重県)の人。本名宮川春暉。京都で漢方医を開業、「傷寒論分註」などを著す。また、各地を旅し、「西遊記」「東遊記」などの紀行文を書いた。(一七五四〜一八〇六)
たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】
嵯峨天皇の皇后。橘清友の娘。嵯峨野に檀林寺を建てたので、世に檀林皇后という。また、一族、子弟のために学館院を設立。(七八六〜八五〇)
たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】
奈良時代の廷臣。諸兄の長男。母は藤原不比等の娘。参議となり藤原仲麻呂と対立。天平宝字元年、藤原氏に対する不平分子を糾合して仲麻呂らを討とうとしたが、事前にもれ失脚。「万葉集」に三首所載。(〜七五七)
たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】(‥なりすゑ)🔗⭐🔉
たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】(‥なりすゑ)
鎌倉初期の文学者。橘光季の養子といわれる。従五位下伊賀守。建長六年貴族説話集の「古今著聞集」を著した。経歴などは不明。生没年不詳。
たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】
平安初期の能書家。空海、嵯峨天皇と共に三筆の一人。延暦二三年に遣唐使に従い入唐。帰国後但馬権守に任ぜられたが承和の変に連座。筆跡と伝える御物「伊都内親王願文」がある。(〜八四二)
たちばな‐の‐みちよ【橘三千代】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐みちよ【橘三千代】
⇒あがたいぬかいのみちよ(県犬養三千代)
たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】
奈良時代の廷臣、歌人。美努王(みぬのおう)の子、母は県犬養(あがたいぬかいの)三千代。光明皇后の異父兄。初名は葛城王。のち臣籍に下り橘宿禰諸兄という。悪疫で不比等の四子が死没して藤原氏が衰退したのち右大臣となり政権を握る。その後、藤原広嗣の乱を乗りきり、恭仁京の経営に当たり、左大臣正一位に至って朝臣の姓を与えられるなど全盛を極めたが、藤原仲麻呂の台頭によって実権を失う。(六八四〜七五七)
たちばな‐ひめ【橘媛】🔗⭐🔉
たちばな‐ひめ【橘媛】
⇒おとたちばなひめ(弟橘媛)
たちばなふじん‐ずし【橘夫人厨子】(‥フジンヅシ)🔗⭐🔉
たちばなふじん‐ずし【橘夫人厨子】(‥フジンヅシ)
奈良県、法隆寺大宝蔵殿にある橘三千代造献と伝える厨子。木造黒漆塗。高さ約二・七メートル。奈良時代の作。国宝の金銅阿弥陀三尊像を収める。龕(がん)の上部は金堂の天蓋と同形で、四方の扉や台座の回りには諸仏や菩薩像、唐草などの文様が描かれている。
たちばな‐ほくし【立花北枝】🔗⭐🔉
たちばな‐ほくし【立花北枝】
江戸中期の俳人。加賀小松の生まれ。研刀を業とし、通称研屋源四郎。元禄二年奥の細道行脚の芭蕉を迎え、兄牧童とともに入門、越前松岡まで同行した。その後、再び芭蕉と接する機会はなかったが、金沢の蕉門の中心的存在として活躍。著「卯辰集」「山中問答」など。(〜一七一八)
たちばな‐むねしげ【立花宗茂】🔗⭐🔉
たちばな‐むねしげ【立花宗茂】
安土桃山から江戸初期の武将。筑前国(福岡県)の人。初名統虎。剃髪して立斎という。立花道雪の養子。島津氏の豊後侵入を防いで以来秀吉に認められ、文禄・慶長の役で功をあげた。関ケ原の戦で豊臣方につき敗れたが、大坂夏の陣後、柳川城主に返り咲いた。(一五六八〜一六四二)
たちばな‐もどき【橘擬】🔗⭐🔉
たちばな‐もどき【橘擬】
バラ科の常緑低木。中国原産で、庭園や垣根に植栽される。高さ一〜二メートル。根元からかたくてとげのある多くの細枝を斜めに出し、繁茂して丸い樹冠をつくる。葉は長さ約五センチメートル、線状楕円形、裏面は短毛を密布し灰白色を帯びる。初夏、枝の上部の葉腋から短い散房花序を出し、白または淡黄色の小さな五弁花を数個ないし十数個集める。果実は扁平な球形で橙黄色に熟す。ほそばのときわさんざし。ピラカンサ。
たちばな‐もりべ【橘守部】🔗⭐🔉
たちばな‐もりべ【橘守部】
江戸後期の国学者、歌人。本姓は飯田氏。伊勢国(三重県)の人。葛西健蔵に漢学を学び、和歌古典を独学。本居宣長の学説を批判した。著「稜威道別(いつのちわき)」「稜威言別(いつのことわき)」「橘守部家集」など。(一七八一〜一八四九)
たちばな‐や【橘屋】🔗⭐🔉
たちばな‐や【橘屋】
歌舞伎俳優一一世市村羽左衛門。また、その一門の屋号。
たちばな‐やき【橘焼】🔗⭐🔉
たちばな‐やき【橘焼】
料理の名。魚の身をかまぼこにする時のようにすりつぶしてからびわの実の大きさに丸め、くちなしで黄色く色をつけ、たれ味噌で煮て、からたちの枝にさしたもの。
たち‐はな・れる【立ち離れる】🔗⭐🔉
たち‐はな・れる【立ち離れる】
〔自ラ下一〕
たちはな・る〔自ラ下二〕たってはなれる。また、離れる。とおざかる。へだたる。*古今‐四三〇「あしひきの山たちはなれゆくくもの」
たちはな・る〔自ラ下二〕たってはなれる。また、離れる。とおざかる。へだたる。*古今‐四三〇「あしひきの山たちはなれゆくくもの」
たちばな‐を【橘を】🔗⭐🔉
たちばな‐を【橘を】
橘の木を守る者の意で、「守(も)る」と同音を含む地名「守部(もりべ)」にかかる。
橘の木を守る者の意で、「守(も)る」と同音を含む地名「守部(もりべ)」にかかる。
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