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広辞苑の検索結果 (29)
たちばな【橘】🔗⭐🔉
たちばな【橘】
①食用柑橘かんきつ類の総称。ときじくのかくのこのみ。〈[季]秋〉。万葉集6「―は実さへ花さへその葉さへ枝えに霜降れどいや常葉とこはの樹」。「右近の―」
②ニホンタチバナの別称。〈[季]秋〉
③カラタチバナの別称。
④襲かさねの色目。表は朽葉くちば、裏は黄。また、表は白、裏は青。
⑤紋所の名。橘の葉と果実とをとりあわせて描いたもの。橘・丸に橘・杏葉ぎょうよう橘・枝橘・向むこう橘・三橘など。
橘
⑥香銘。木所きどころは真那賀まなか。→香木。
⇒たちばな‐づき【橘月】
⇒たちばな‐どり【橘鳥】
⇒たちばな‐もどき【橘擬き】
⇒たちばな‐やき【橘焼】
⇒たちばな‐を【橘を】
⑥香銘。木所きどころは真那賀まなか。→香木。
⇒たちばな‐づき【橘月】
⇒たちばな‐どり【橘鳥】
⇒たちばな‐もどき【橘擬き】
⇒たちばな‐やき【橘焼】
⇒たちばな‐を【橘を】
たちばな【橘】(姓氏)🔗⭐🔉
たちばな【橘】
姓氏の一つ。708年(和銅1)、県犬養あがたいぬかい宿祢三千代に県犬養橘宿祢の姓が与えられ、敏達天皇の玄孫美努みぬ王に嫁して生んだ葛城王(諸兄もろえ)・佐為王もまた橘宿祢の姓を与えられ、さらに橘朝臣となる。
⇒たちばな‐あけみ【橘曙覧】
⇒たちばな‐えなお【橘枝直】
⇒たちばな‐しゅうた【橘周太】
⇒たちばな‐しらき【橘樸】
⇒たちばな‐しんとう【橘神道】
⇒たちばな‐ずいちょう【橘瑞超】
⇒たちばな‐ちかげ【橘千蔭】
⇒たちばな‐なんけい【橘南谿】
⇒たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】
⇒たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】
⇒たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】
⇒たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】
⇒たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】
⇒たちばな‐もりべ【橘守部】
たちばな【立花】🔗⭐🔉
たちばな【立花】
姓氏の一つ。
⇒たちばな‐ほくし【立花北枝】
⇒たちばな‐むねしげ【立花宗茂】
たちばな‐あけみ【橘曙覧】🔗⭐🔉
たちばな‐あけみ【橘曙覧】
江戸末期の歌人・国学者。福井の人。姓は井手ともいう。名は尚事、後に曙覧、家号は志濃夫廼舎しのぶのや・藁屋。田中大秀おおひでに国学を学び、万葉調の歌をよくした。作「志濃夫廼舎歌集」「藁屋詠草」「藁屋文集」など。(1812〜1868)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐えなお【橘枝直】‥ナホ🔗⭐🔉
たちばな‐えなお【橘枝直】‥ナホ
⇒かとうえなお(加藤枝直)。
⇒たちばな【橘】
たち‐ばなし【立ち話】🔗⭐🔉
たち‐ばなし【立ち話】
立ったまま話すこと。また、その話。「―も何ですからお入りなさい」
たちばな‐しゅうた【橘周太】‥シウ‥🔗⭐🔉
たちばな‐しゅうた【橘周太】‥シウ‥
軍人。陸軍歩兵中佐。肥前千々石生れ。日露戦争で遼陽付近の首山堡攻撃で戦死。軍神とされた。(1865〜1904)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐しらき【橘樸】🔗⭐🔉
たちばな‐しらき【橘樸】
中国問題研究家・ジャーナリスト。大分県生れ。五高中退。1906年(明治39)中国にわたり、記者をへて満鉄嘱託。31年「満州評論」を創刊、王道国家論など満州国の理念を説いた。著「支那社会研究」など。(1881〜1945)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐しんとう【橘神道】‥タウ🔗⭐🔉
たちばな‐しんとう【橘神道】‥タウ
江戸中期に玉木正英(1670〜1736)の唱道した橘氏相伝と称する神道。垂加神道の一流。橘家きっけ神道。
⇒たちばな【橘】
たちばな‐ずいちょう【橘瑞超】‥テウ🔗⭐🔉
たちばな‐ずいちょう【橘瑞超】‥テウ
探検家。浄土真宗本願寺派僧侶。名古屋生れ。大谷光瑞の探検隊の第2次・第3次中央アジア探検に参加。著「中亜探検」。(1890〜1968)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐ちかげ【橘千蔭】🔗⭐🔉
たちばな‐ちかげ【橘千蔭】
⇒かとうちかげ(加藤千蔭)。
⇒たちばな【橘】
たちばな‐づき【橘月】🔗⭐🔉
たちばな‐づき【橘月】
陰暦5月の異称。
⇒たちばな【橘】
たちばな‐でら【橘寺】🔗⭐🔉
たちばな‐でら【橘寺】
奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺。正称は上宮皇院菩提寺。606年聖徳太子の創建と伝えるが実際は天智天皇頃の成立。室町時代以降荒廃し幕末〜明治初年に再興。
たちばな‐どり【橘鳥】🔗⭐🔉
たちばな‐どり【橘鳥】
ホトトギスの異称。
⇒たちばな【橘】
たちばな‐なんけい【橘南谿】🔗⭐🔉
たちばな‐なんけい【橘南谿】
江戸後期の医者・文人。宮川氏。名は春暉はるあきら。伊勢の人。京都に出て古医方を修め、解剖を行う。また、文学を好み、和歌に巧みで、全国を周遊。著「西遊記」「東遊記」「傷寒論分註」など。(1753〜1805)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】
嵯峨天皇の皇后。内舎人うどねり橘清友の女むすめ。京都嵯峨に檀林寺を創建したので檀林皇后と呼ばれる。学館院を設立。(786〜850)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】
奈良時代の貴族。諸兄もろえの子。参議。諸兄の没後、藤原仲麻呂を除こうと企てたが、密告により発覚し、拷問されて横死。(721〜757)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】‥スヱ🔗⭐🔉
たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】‥スヱ
鎌倉時代の貴族・文人。伊賀守。1254年(建長6)「古今著聞集」を撰。藤原孝時から琵琶の伝授を受けた。生没年未詳。
→文献資料[古今著聞集]
⇒たちばな【橘】
たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】
平安初期の能書家。三筆の一人。奈良麻呂の孫。804年(延暦23)遣唐留学生として入唐。帰国後、承和じょうわの変に坐して伊豆へ配流の途中没。( 〜842)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】🔗⭐🔉
たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】
奈良時代の貴族。父は敏達天皇4世の孫、美努みぬ王。母は県犬養三千代あがたいぬかいのみちよ。光明皇后の異父兄。はじめ葛城かずらき王と称したが、のち母の姓を継ぎ橘諸兄となる。藤原不比等の4子が相次いで病没した後、大納言となり、さらに右大臣・左大臣に進んだが、藤原仲麻呂に政治の実権を握られた。(684〜757)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐ひめ【橘媛】🔗⭐🔉
たちばな‐ひめ【橘媛】
(→)弟橘媛おとたちばなひめに同じ。
たちばなふじん‐の‐ずし【橘夫人厨子】‥ヅ‥🔗⭐🔉
たちばなふじん‐の‐ずし【橘夫人厨子】‥ヅ‥
奈良時代の厨子。光明皇后の母橘夫人(三千代)の念持仏と伝える阿弥陀三尊像を安置する。木造、高さ268.9センチメートル。天蓋付きの箱形の龕がんと台座(須弥座しゅみざと台脚)とから成る。阿弥陀三尊像および透彫すかしぼりの光背や浮彫で表現された菩薩像と蓮池は白鳳期のすぐれた金工技術の粋を示すと共に、扉の内外や須弥座の四面に描かれた彩色画も同時期の貴重な遺例。法隆寺蔵。国宝。
たちばな‐ほくし【立花北枝】🔗⭐🔉
たちばな‐ほくし【立花北枝】
江戸中期の俳人。蕉門十哲の一人。通称、研屋源四郎。加賀国金沢に住み刀研ぎを業とした。1689年(元禄2)芭蕉に入門、北越に蕉風をひろめた。編著「山中問答」「卯辰集」など。( 〜1718)
⇒たちばな【立花】
たちばな‐むねしげ【立花宗茂】🔗⭐🔉
たちばな‐むねしげ【立花宗茂】
安土桃山時代の武将。大友氏の一族で、豊臣秀吉に仕え、筑後柳川城主。文禄・慶長の役に勇名をはせた。関ヶ原の戦後、家康に降る。(1569〜1642)
⇒たちばな【立花】
たちばな‐もりべ【橘守部】🔗⭐🔉
たちばな‐もりべ【橘守部】
江戸後期の国学者・歌人。伊勢の人。本姓は飯田。池庵・椎本しいがもとなどと号す。古語・古典の解釈において本居宣長に対して一家を成す。著に「稜威道別いつのちわき」「稜威言別いつのことわき」「湖月抄別記」「助辞本義一覧」など。(1781〜1849)
⇒たちばな【橘】
たちばな‐や【橘屋】🔗⭐🔉
たちばな‐や【橘屋】
歌舞伎俳優市村羽左衛門とその一門の屋号。
たちばな‐やき【橘焼】🔗⭐🔉
たちばな‐やき【橘焼】
魚の身をすりつぶして、小さく丸め、クチナシで黄色に染め、たれ味噌で煮て、カラタチの枝にさした料理。
⇒たちばな【橘】
たちばな‐を【橘を】🔗⭐🔉
たちばな‐を【橘を】
〔枕〕
「守部(地名)」にかかる。
⇒たちばな【橘】
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たちばな【橘】🔗⭐🔉
たちばな [2] 【橘】
(1)ミカン科の常緑小高木。日本原産唯一の柑橘類とされ,四国・九州・沖縄などに自生。初夏に芳香のある白色の五弁花を開く。果実は小さく,黄熟しても酸味が強く食用には向かない。紫宸殿の「右近の橘」は本種といわれる。ヤマトタチバナ。[季]秋。
〔「橘の花」は [季]夏〕
(2)古来,食用とされたミカン類の総称。非時香菓(トキジクノカクノコノミ)。
(3)家紋の一。橘の花・実・葉をかたどったもの。
橘(3)
[図]
[図]
たちばな-づき【橘月】🔗⭐🔉
たちばな-づき [4] 【橘月】
陰暦五月の異名。
たちばな-どり【橘鳥】🔗⭐🔉
たちばな-どり [4] 【橘鳥】
ホトトギスの異名。
たちばな-もどき【橘擬】🔗⭐🔉
たちばな-もどき [5] 【橘擬】
バラ科の常緑低木。中国南西部原産。庭木・生け垣などにする。よく分枝し,とげが多い。葉は倒披針形。五,六月,白色の小花を散房花序につける。果実は小さな扁球形で,晩秋,橙黄色に熟す。ホソバノトキワサンザシ。ピラカンサ。
たちばな-やき【橘焼(き)】🔗⭐🔉
たちばな-やき [0] 【橘焼(き)】
魚の身をすりつぶしてビワの実ほどの大きさに丸め,クチナシで黄色く色をつけて,たれ味噌で煮たものをカラタチの枝に刺して出した料理。
たちばな-を【橘を】🔗⭐🔉
たちばな-を 【橘を】 (枕詞)
橘を守る守部(=番人)の意から,地名「守部」にかかる。「―守部の里の門田早稲/万葉 2251」
たちばな【橘】🔗⭐🔉
たちばな 【橘】
姓氏の一。古代の名族。708年(和銅1)に美努(ミヌ)王の妻,県犬養(アガタイヌカイノ)三千代が賜った橘宿禰の姓を,子の葛城王(諸兄)らが臣籍に下って受け継いだのに始まる。諸兄らは以後の朝政に重きをなしたが,平安時代に承和の変で逸勢が失脚した頃から後は衰退した。
たちばな-あきこ【橘秋子】🔗⭐🔉
たちばな-あきこ 【橘秋子】
(1907-1971) 舞踏家。栃木県生まれ。本名,福田サク。パブロワに師事。創作バレエの発表や,海外舞踏家の招聘を通して,人材の育成に尽力した。
たちばな-あけみ【橘曙覧】🔗⭐🔉
たちばな-あけみ 【橘曙覧】
(1812-1868) 江戸末期の国学者・歌人。姓は井手とも。号,志濃夫廼舎(シノブノヤ)。福井の人。田中大秀に学ぶ。万葉調の個性的な歌を詠む。著「志濃夫廼舎歌集」など。
たちばな-えなお【橘枝直】🔗⭐🔉
たちばな-えなお ―エナホ 【橘枝直】
⇒加藤枝直(カトウエナオ)
たちばな-こうざぶろう【橘孝三郎】🔗⭐🔉
たちばな-こうざぶろう ―カウザブラウ 【橘孝三郎】
(1893-1974) 国家主義・農本主義者。茨城県生まれ。1931年愛郷塾を創立。井上日召を知り,五・一五事件に参加,無期懲役となり40年仮出所。
たちばな-しゅうた【橘周太】🔗⭐🔉
たちばな-しゅうた ―シウタ 【橘周太】
(1865-1904) 陸軍軍人。中佐。長崎県生まれ。1904年(明治37)日露戦争に従軍,大隊長として遼陽城攻略戦を指揮,首山堡高地で戦死,軍神と称賛された。
たちばな-しらき【橘樸】🔗⭐🔉
たちばな-しらき 【橘樸】
(1881-1945) ジャーナリスト・中国研究家。大分県生まれ。早大中退。中国社会研究の先駆者。著「支那思想研究」「支那社会研究」「中国革命史論」など。
たちばな-しんとう【橘神道】🔗⭐🔉
たちばな-しんとう ―タウ 【橘神道】
江戸中期,橘三喜(ミツヨシ)が唱道した橘氏相伝の古神道。儒教と習合したもの。のちに玉木正英が大成。橘家(キツケ)神道。
たちばな-ずいちょう【橘瑞超】🔗⭐🔉
たちばな-ずいちょう ―ズイテウ 【橘瑞超】
(1890-1968) 探検家。浄土真宗本願寺派の僧侶。名古屋生まれ。大谷探検隊に加わり,中央アジア各地を踏査。多くの仏典・古写経などを将来。著「中亜探険」など。
たちばな-ちかげ【橘千蔭】🔗⭐🔉
たちばな-ちかげ 【橘千蔭】
⇒加藤千蔭(カトウチカゲ)
たちばな-なんけい【橘南谿】🔗⭐🔉
たちばな-なんけい 【橘南谿】
(1753-1805) 江戸中期の医者・文人。本姓,宮川。名は春暉。伊勢の人。京都で漢方医学を学び開業するかたわら,各地を回り紀行文を著す。医書は創見に富む。著「西遊記」「東遊記」「傷寒論分注」など。
たちばな-の-かちこ【橘嘉智子】🔗⭐🔉
たちばな-の-かちこ 【橘嘉智子】
(786-850) 嵯峨天皇の皇后。内舎人橘清友の女(ムスメ)。京都嵯峨に檀林寺を建立したので檀林皇后と呼ばれる。私学学館院を開設。
たちばな-の-ならまろ【橘奈良麻呂】🔗⭐🔉
たちばな-の-ならまろ 【橘奈良麻呂】
(?-757) 奈良時代の廷臣。諸兄の長男。父の勢力のもとに累進して参議となる。藤原仲麻呂の擡頭(タイトウ)を排除しようとして,不平貴族を糾合して乱を企てたが,事前にもれて獄死。
たちばな-の-なりすえ【橘成季】🔗⭐🔉
たちばな-の-なりすえ ―ナリス
【橘成季】
鎌倉前期の文学者。橘光季の養子か。伊賀守。琵琶(ビワ)を藤原孝時から伝授されたほか,漢詩文・和歌をよくした。著「古今著聞集」。生年未詳。1282年以前に没か。
【橘成季】
鎌倉前期の文学者。橘光季の養子か。伊賀守。琵琶(ビワ)を藤原孝時から伝授されたほか,漢詩文・和歌をよくした。著「古今著聞集」。生年未詳。1282年以前に没か。
たちばな-の-はやなり【橘逸勢】🔗⭐🔉
たちばな-の-はやなり 【橘逸勢】
(?-842) 平安初期の官僚・書家。奈良麻呂の孫。804年最澄・空海らとともに入唐。承和の変に加わったとされ,伊豆に流される途中に遠江(トオトウミ)国で客死。隷書を得意とし三筆の一人に数えられるが,真跡と確証できるものは現存しない。
たちばな-の-みちよ【橘三千代】🔗⭐🔉
たちばな-の-みちよ 【橘三千代】
⇒県犬養(アガタイヌカイノ)三千代
たちばな-の-もろえ【橘諸兄】🔗⭐🔉
たちばな-の-もろえ 【橘諸兄】
(684-757) 奈良時代の廷臣。美努(ミヌ)王の子。葛城王とも。母,橘三千代の姓を継いで臣籍に下った。右大臣を経て左大臣に進み,玄
・吉備真備らと結んで勢力を築いたが,藤原仲麻呂の擡頭(タイトウ)で実権を失った。万葉集に短歌八首を収める。
・吉備真備らと結んで勢力を築いたが,藤原仲麻呂の擡頭(タイトウ)で実権を失った。万葉集に短歌八首を収める。
たちばな-もりべ【橘守部】🔗⭐🔉
たちばな-もりべ 【橘守部】
(1781-1849) 江戸後期の国学者・歌人。本姓,飯田。号は池庵・椎本(シイガモト)など。伊勢の人。江戸に出て,独学ながら本居宣長と対立する学風を形成。著「稜威道別(イツノチワキ)」「稜威言別(イツノコトワキ)」「橘守部家集」など。
たちばな【立花】🔗⭐🔉
たちばな 【立花】
姓氏の一。
たちばな-ほくし【立花北枝】🔗⭐🔉
たちばな-ほくし 【立花北枝】
(?-1718) 江戸前・中期の俳人。通称,研屋源四郎。別号,鳥翠台など。加賀金沢で刀研ぎを業とする。「奥の細道」紀行途上の芭蕉を迎え,兄牧童と入門,北陸蕉門の中心となった。編著「山中問答」「卯辰(ウタツ)集」など。
たちばな-むねしげ【立花宗茂】🔗⭐🔉
たちばな-むねしげ 【立花宗茂】
(1569-1642) 安土桃山・江戸初期の武将。高橋紹運の子。立花道雪の養子。豊臣秀吉の九州出兵の時に功をたて,柳川一三万石を領した。関ヶ原の戦いで西軍に属し改易されたが,のち旧領を回復して柳川藩祖。
たち-ばなし【立(ち)話】🔗⭐🔉
たち-ばなし [3] 【立(ち)話】 (名)スル
立ったままで話すこと。また,そのようにして話す軽い内容の話。「道で―する」
たちばな-でら【橘寺】🔗⭐🔉
たちばな-でら 【橘寺】
奈良県明日香村にある天台宗の寺。正式名は仏頭山上宮院菩提寺。聖徳太子生誕の地で,また太子が勝鬘経(シヨウマンギヨウ)を講じたところと伝えられる。現在の堂宇は1864年再興のもの。
たちばな-ひめ【橘媛】🔗⭐🔉
たちばな-ひめ 【橘媛】
⇒弟橘媛(オトタチバナヒメ)
たちばなふじん-ずし【橘夫人厨子】🔗⭐🔉
たちばなふじん-ずし ―ヅシ 【橘夫人厨子】
橘三千代(光明皇后の母)の念持仏と伝える金銅阿弥陀三尊像を安置する木造の厨子。高さ約2.7メートル。法隆寺蔵。金堂天蓋に共通する箱形天蓋を付した長方形の龕部(ガンブ)と須弥座(シユミザ)から成る。国宝。
たちばな-や【橘屋】🔗⭐🔉
たちばな-や 【橘屋】
歌舞伎俳優一二世市村羽左衛門より代々の,羽左衛門およびその系統の屋号。
たちばなや-えんたろう【橘家円太郎】🔗⭐🔉
たちばなや-えんたろう ―
ンタラウ 【橘家円太郎】
(1845-1898)(四世)音曲師。江戸生まれ。本名,石井菊松。円朝門人。高座でラッパを吹く珍芸で人気を博し,俗に「ラッパの円太郎」と呼ばれ,円遊・万橘・談志らとともに四天王と称された。
→円太郎馬車
ンタラウ 【橘家円太郎】
(1845-1898)(四世)音曲師。江戸生まれ。本名,石井菊松。円朝門人。高座でラッパを吹く珍芸で人気を博し,俗に「ラッパの円太郎」と呼ばれ,円遊・万橘・談志らとともに四天王と称された。
→円太郎馬車
たちばなや-きつのすけ【立花家橘之助】🔗⭐🔉
たちばなや-きつのすけ 【立花家橘之助】
(1868?-1935) 音曲師。江戸生まれ。本名,石田みよ。幼少の頃から音曲で寄席に出,八歳で真打ち。東京・京都・名古屋などで活躍。
たちばな【橘】(和英)🔗⭐🔉
たちばな【橘】
《植》a wild orange.
たちばなし【立話する】(和英)🔗⭐🔉
たちばなし【立話する】
stand talking.
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