複数辞典一括検索+

たちばな【×橘】🔗🔉

たちばな【×橘】 ミカン科の常緑小高木。枝にとげをもち、葉は小さい。六月ごろ、白い五弁花を開く。実は小さく、黄熟しても酸味が強く苦みもあり食用にはしない。日本たちばな。《季 実=秋 花=夏》「青き葉の添ふ―の実の割かれ/草城」カラタチバナの別名。生食された柑橘(かんきつ)類の総称。紋所の名。タチバナの葉と実とを組み合わせて描いたもの。

たちばな【橘】🔗🔉

たちばな【橘】 姓氏の一。古代の有力な氏。敏達天皇五世の孫美努(みぬ)王の妻、県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)が和銅元年(七〇八)に橘宿禰(たちばなのすくね)を賜り、のち、その子の葛城(かつらぎ)王(橘諸兄(もろえ))・佐為(さい)王が母の氏姓を受けて臣籍に移ったのに始まる。

たちばな【立花】🔗🔉

たちばな【立花】 姓氏の一。

たちばな‐あけみ【橘曙覧】🔗🔉

たちばな‐あけみ【橘曙覧】一八一二〜一八六八]江戸末期の歌人・国学者。越前の人。姓は井手とも。号、志濃夫廼舎(しのぶのや)。田中大秀に国学を学び、「独楽吟(どくらくぎん)」など清新で自由な歌風を生んだ。家集「志濃夫廼舎歌集」など。

たちばな‐えなお【橘枝直】‐えなほ🔗🔉

たちばな‐えなお【橘枝直】‐えなほ 加藤枝直(かとうえなお)

たち‐ばなし【立(ち)話】🔗🔉

たち‐ばなし【立(ち)話】 [名]スル立ったままで話をすること。また、その話。「道端で―する」

たちばな‐しゅうた【橘周太】‐シウタ🔗🔉

たちばな‐しゅうた【橘周太】‐シウタ一八六五〜一九〇四]陸軍軍人。長崎の生まれ。日露戦争中、大隊長として首山堡の争奪戦で戦死。海軍の広瀬中佐と並んで「軍神橘中佐」と称された。

たちばな‐しんとう【×橘神道】‐シンタウ🔗🔉

たちばな‐しんとう【×橘神道】‐シンタウ 江戸時代に普及した神道の一派。橘三喜(たちばなみつよし)が唱道し、垂加神道派の玉木正英が大成。橘家神道(きつけしんとう)

たちばな‐ちかげ【橘千蔭】🔗🔉

たちばな‐ちかげ【橘千蔭】 加藤千蔭(かとうちかげ)

たちばな‐づき【×橘月】🔗🔉

たちばな‐づき【×橘月】 陰暦五月の異称。

たちばな‐でら【橘寺】🔗🔉

たちばな‐でら【橘寺】 奈良県高市郡明日香(あすか)村にある天台宗の寺。正称は仏頭山上宮院菩提寺。開創は推古天皇一四年(六〇六)で、聖徳太子建立七か寺の一。太子誕生の地、また、勝鬘(しようまん)経を講じた地と伝える。現在の堂宇は元治元年(一八六四)再興のもの。

たちばな‐どり【×橘鳥】🔗🔉

たちばな‐どり【×橘鳥】 ホトトギスの別名。

たちばな‐なんけい【橘南谿】🔗🔉

たちばな‐なんけい【橘南谿】一七五四〜一八〇五]江戸中期の医者・文人。伊勢の人。本名、宮川春暉(みやがわはるき)。字(あざな)は恵風。別号、梅仙。京都で漢方医学を学び、文学にも造詣が深い。全国を遍歴して「西遊記」「東遊記」を著し、医学上の創見も多い。著「傷寒外伝」など。

たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】🔗🔉

たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】七八六〜八五〇]嵯峨天皇の皇后。仏法への信仰があつく、京都嵯峨に檀林寺を建てたので、世に檀林皇后という。橘氏の私学として学館院を設立。

たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】🔗🔉

たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】?〜七五七]奈良時代の貴族。諸兄(もろえ)の子。父の死後、藤原仲麻呂との対立から騒乱の主謀者として捕らえられ、獄死したとされる。

たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】‐なりすゑ🔗🔉

たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】‐なりすゑ 鎌倉中期の文学者。諸兄(もろえ)の末裔光季の養子といわれる。伊賀守。文学・音楽にすぐれ、建長六年(一二五四)「古今著聞集」を編集した。生没年未詳。

たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】🔗🔉

たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】?〜八四二]平安初期の官人・能書家。奈良麻呂の孫。遣唐留学生として入唐。帰国後、承和の変に連座して捕らえられ、伊豆へ流される途中没した。三筆の一人であるが、真跡と断定できるものは残っていない。

たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】🔗🔉

たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】六八四〜七五七]奈良前期の官人・歌人。母は県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)。光明皇后の異父兄。初め葛城(かつらぎ)王。のち、臣籍に降り、橘宿禰(すくね)諸兄と改めた。藤原不比等の四子が病没したのち右大臣・左大臣に昇り、政権を握ったが、藤原仲麻呂の台頭後は振るわなかった。

たちばなふじん‐ずし【橘夫人厨子】‐ヅシ🔗🔉

たちばなふじん‐ずし【橘夫人厨子】‐ヅシ 光明皇后の母、橘三千代の念持仏と伝える阿弥陀三尊像を安置する木造の厨子。法隆寺金堂天蓋(てんがい)を模した天蓋付きの龕(がん)と須弥座(しゆみざ)および台脚からなり、高さ約二・七メートル。三尊・蓮池などの金工技術、黒漆塗りの龕の扉に金泥(きんでい)で描かれた線描画や須弥座の彩色画などは奈良初期の貴重な遺例。

たちばな‐ほくし【立花北枝】🔗🔉

たちばな‐ほくし【立花北枝】?〜一七一八]江戸中期の俳人。蕉門十哲の一人。加賀の人。別号、鳥翠台・寿夭軒。通称、研屋(とぎや)源四郎。「奥の細道」行脚の途次の芭蕉に入門。編著「山中問答」「卯辰(うたつ)集」など。

たちばな‐むねしげ【立花宗茂】🔗🔉

たちばな‐むねしげ【立花宗茂】一五六九〜一六四二]安土桃山・江戸初期の武将。筑後柳川城主。豊臣秀吉に仕えて文禄・慶長の役に活躍。関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れ、のち、徳川家康に仕えた。大坂夏の陣後、柳川城主に復帰。

たちばな‐もどき【×橘△擬】🔗🔉

たちばな‐もどき【×擬】 バラ科の常緑低木。枝にはとげがあり、長楕円形の葉を密につける。初夏、黄白色の花が密生して咲き、実は平たい球形で橙黄色に熟す。中国の原産。庭木や生け垣などにする。ピラカンサ。ほそばのときわさんざし。

たちばな‐もりべ【橘守部】🔗🔉

たちばな‐もりべ【橘守部】一七八一〜一八四九]江戸後期の国学者・歌人。伊勢の人。本姓は飯田。号、池庵・椎本(しいがもと)など。江戸で独学して古典・古語に通じ、本居宣長(もとおりのりなが)に対抗して独自の学説を立てた。著「稜威道別(いつのちわき)」「万葉集檜嬬手(ひのつまで)」「助辞本義一覧」など。

たちばな‐や【橘屋】🔗🔉

たちばな‐や【橘屋】 歌舞伎俳優の屋号。一二世以後の代々の市村羽左衛門、およびその一門が用いる。

たちばな‐やき【×橘焼(き)】🔗🔉

たちばな‐やき【×橘焼(き)】 すりつぶした魚の肉をビワの実の大きさに丸め、クチナシで黄色に色づけし、たれ味噌で煮てカラタチの枝に挿した料理。

たち‐はな・る【立ち離る】🔗🔉

たち‐はな・る【立ち離る】 [動ラ下二]隔たる。遠ざかる。「―・れて、さるべきことをも言ひやり」〈源・帚木〉

たちばな‐わん【橘湾】🔗🔉

たちばな‐わん【橘湾】 徳島県東部、阿南市にある湾。島が多く、弁天島には天然記念物の亜熱帯性植物群落がある。長崎県の千々石(ちぢわ)湾の異称。日露戦争時の陸軍中佐橘周太の名にちなむ。

たちばな‐を【×橘を】🔗🔉

たちばな‐を【×橘を】 〔枕〕橘の木を守るために番人を置く意から、地名の「守部(もりべ)」にかかる。「―守部の里の門田早稲(かどたわせ)」〈万・二二五一〉

🔗🔉

[音]キツ [訓]たちばな [部首]木 [総画数]16 [コード]区点    2144      JIS   354C      S‐JIS 8B6B [分類]人名用漢字 [難読語] →から‐たち【枸橘・枳殻】き‐がわ【黄皮・橘皮】す‐だち【酢橘】たなかだて‐あいきつ【田中館愛橘】

大辞泉たちばなで始まるの検索結果 1-31