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広辞苑の検索結果 (25)
きのした【木下】🔗⭐🔉
きのした‐けいすけ【木下恵介】🔗⭐🔉
きのした‐けいすけ【木下恵介】
映画監督・脚本家。静岡県生れ。本名、正吉。第二次大戦後の日本映画の黄金期を支えた。作「陸軍」「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」など。(1912〜1998)
木下恵介
提供:毎日新聞社
⇒きのした【木下】
⇒きのした【木下】
きのした‐ごま【木下駒】🔗⭐🔉
きのした‐ごま【木下駒】
宮城県仙台地方で作られる、木製の馬の玩具。黒地に赤・緑・白で彩色する。
きのした‐じゅんあん【木下順庵】🔗⭐🔉
きのした‐じゅんあん【木下順庵】
江戸前期の儒学者。名は貞幹さだまさ。別号、錦里。京都の人。松永尺五に朱子学を学び、加賀藩に仕え、次いで将軍綱吉の侍講。著「錦里先生文集」。諡おくりなは恭靖先生。(1621〜1698)→木門もくもんの十哲。
⇒きのした【木下】
きのした‐じゅんじ【木下順二】🔗⭐🔉
きのした‐じゅんじ【木下順二】
劇作家。東京生れ。東大卒。第二次大戦後の日本演劇を代表する作家の一人。演劇評論・翻訳も多い。戯曲「夕鶴」「子午線の祀り」など。(1914〜2006)
⇒きのした【木下】
きのした‐たかふみ【木下幸文】🔗⭐🔉
きのした‐たかふみ【木下幸文】
江戸後期の歌人。号は亮々舎さやさやのや・朝三亭。備中の人。澄月・慈延に学び、のち香川景樹に入門。歌風は放胆な自由と純真な弱さが特色。著「亮々草紙」「亮々遺稿」など。(1779〜1821)
⇒きのした【木下】
きのした‐ちょうしょうし【木下長嘯子】‥チヤウセウ‥🔗⭐🔉
きのした‐ちょうしょうし【木下長嘯子】‥チヤウセウ‥
江戸初期の歌人。名は勝俊。別号は挙白堂・天哉など。豊臣秀吉の北政所きたのまんどころの兄家定の長子。小浜城主。関ヶ原の戦後、封を奪われ、剃髪して京都東山や大原野に閑居。和歌を細川幽斎に学ぶ。歌風は当時の革新派。著「九州道の記」「挙白集」など。(1569〜1649)
⇒きのした【木下】
きのした‐とうきちろう【木下藤吉郎】‥ラウ🔗⭐🔉
きのした‐とうきちろう【木下藤吉郎】‥ラウ
豊臣秀吉の初名。
⇒きのした【木下】
きのした‐なおえ【木下尚江】‥ナホ‥🔗⭐🔉
きのした‐なおえ【木下尚江】‥ナホ‥
社会思想家・作家。松本生れ。早大卒。社会運動に奔走し、日露戦争には非戦論を唱え、反戦小説「火の柱」を毎日新聞に連載。またキリスト教社会主義を説いて雑誌「新紀元」を創刊。小説「良人の自白」など。(1869〜1937)
木下尚江
提供:毎日新聞社
⇒きのした【木下】
⇒きのした【木下】
きのした‐もくたろう【木下杢太郎】‥ラウ🔗⭐🔉
きのした‐もくたろう【木下杢太郎】‥ラウ
医学者・詩人・劇作家。本名、太田正雄。静岡県生れ。東北大・東大教授。雑誌「スバル」「屋上庭園」同人。キリシタン・美術史の研究にも多くの業績を残した。詩集「食後の唄」、戯曲集「和泉屋染物店」など。(1885〜1945)
木下杢太郎
提供:毎日新聞社
⇒きのした【木下】
⇒きのした【木下】
きのした‐りげん【木下利玄】🔗⭐🔉
きのした‐りげん【木下利玄】
歌人。本名、利玄としはる。岡山県生れ。東大卒。佐佐木信綱門下の逸才。雑誌「白樺」同人。歌集「銀」「紅玉」「一路」「立春」「李青集」。(1886〜1925)
⇒きのした【木下】
こした‐やみ【木下闇】🔗⭐🔉
こした‐やみ【木下闇】
(→)「このしたやみ」に同じ。〈[季]夏〉
こ‐の‐した【木の下】🔗⭐🔉
こ‐の‐した【木の下】
木の下。こかげ。木のもと。大和物語「しぐれのみ降る山里の―は」
⇒このした‐がく・る【木の下隠る】
⇒このした‐がくれ【木の下隠れ】
⇒このした‐かげ【木の下陰】
⇒このした‐かぜ【木の下風】
⇒このした‐がり【木の下狩り】
⇒このした‐づくよ【木の下月夜】
⇒このした‐つゆ【木の下露】
⇒このした‐みず【木の下水】
⇒このした‐みち【木の下道】
⇒このした‐やみ【木の下闇】
このした‐がく・る【木の下隠る】🔗⭐🔉
このした‐がく・る【木の下隠る】
〔自四・下二〕
木の下に隠れる。万葉集2「秋山の―・り行く水の」。久安百首「―・れ行く水の浅き心に」
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐がくれ【木の下隠れ】🔗⭐🔉
このした‐がくれ【木の下隠れ】
木の下に隠れること。また、その所。このしたがくり。
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐かげ【木の下陰】🔗⭐🔉
このした‐かげ【木の下陰】
木のかげ。こかげ。拾遺和歌集恋「あさましき―の岩清水」
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐かぜ【木の下風】🔗⭐🔉
このした‐かぜ【木の下風】
木の下を吹く風。貫之集「―もやまず吹かなむ」
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐がり【木の下狩り】🔗⭐🔉
このした‐がり【木の下狩り】
(→)勢子せこに同じ。和訓栞「―はせこの事なりといへり」
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐づくよ【木の下月夜】🔗⭐🔉
このした‐づくよ【木の下月夜】
木の間から月光のもれてくる夜。
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐つゆ【木の下露】🔗⭐🔉
このした‐つゆ【木の下露】
木の葉から落ちる露。また、木の下の露。古今和歌集東歌「宮城野の―は雨にまされり」
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐みず【木の下水】‥ミヅ🔗⭐🔉
このした‐みず【木の下水】‥ミヅ
木の下陰を流れる水。また、木の下に溜まった水。後拾遺和歌集恋「夏山の―は草隠れつつ」
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐みち【木の下道】🔗⭐🔉
このした‐みち【木の下道】
木の茂った下の道。木陰の道。新拾遺和歌集釈教「さつきやみ―は暗きより暗きに迷ふ道ぞ苦しき」
⇒こ‐の‐した【木の下】
このした‐やみ【木の下闇】🔗⭐🔉
このした‐やみ【木の下闇】
木が茂って木陰の暗いこと。〈[季]夏〉。拾遺和歌集夏「さつき山―にともす火は鹿のたちどのしるべなりけり」
⇒こ‐の‐した【木の下】
こ‐の‐もと【木の下】🔗⭐🔉
こ‐の‐もと【木の下】
きのした。万葉集11「―に時と寄りこねわが思ふ人」
⇒このもと‐まつり【木の下祭】
このもと‐まつり【木の下祭】🔗⭐🔉
このもと‐まつり【木の下祭】
伊勢神宮の新造営のため、正殿の心しんの柱の材を山から伐り出す時、その木の下で行われる祭。
⇒こ‐の‐もと【木の下】
大辞林の検索結果 (10)
きのした【木下】🔗⭐🔉
きのした 【木下】
姓氏の一。
きのした-じゅんあん【木下順庵】🔗⭐🔉
きのした-じゅんあん 【木下順庵】
(1621-1698) 江戸前期の儒学者。号は錦里など。京都の人。松永尺五(セキゴ)の弟子。加賀藩に仕え,次いで徳川綱吉の侍講となる。朱子学者で,その門から室鳩巣・新井白石など木門(モクモン)の十哲といわれる俊秀が輩出。著「錦里文集」など。
きのした-たかぶみ【木下幸文】🔗⭐🔉
きのした-たかぶみ 【木下幸文】
(1779-1821) 江戸後期の歌人。初名,義質(ヨシナオ)。号は亮亮舎(サヤサヤノヤ)・朝三亭。備中の人。はじめ澄月・慈延に,のち香川景樹に学ぶ。歌風は奔放にして,繊細。桂園十哲の一人。代表歌「貧窮百首」。著「亮亮遺稿」「亮亮草紙」など。
きのした-たけじ【木下竹次】🔗⭐🔉
きのした-たけじ 【木下竹次】
(1872-1946) 教育者,教育研究家。福井出身。東京高等師範学校卒。大正期に奈良女高師附小主事として合科学習,生活修身など学習法の理論を指導したことで有名。
きのした-ちょうしょうし【木下長嘯子】🔗⭐🔉
きのした-ちょうしょうし ―チヤウセウシ 【木下長嘯子】
(1569-1649) 江戸初期の歌人。名は勝俊。別号,挙白堂・天哉ほか。豊臣秀吉の室,北の政所(マンドコロ)の兄家定の長子。尾張の人。小浜城主であったが,関ヶ原の戦いで封を失い,出家。歌を細川幽斎に学ぶ。歌風は自由清新で革新的。著「挙白集」「九州の道の記」「若狭少将勝俊朝臣集」など。
きのした-とうきちろう【木下藤吉郎】🔗⭐🔉
きのした-とうきちろう ―トウキチラウ 【木下藤吉郎】
豊臣秀吉の前名。
きのした-なおえ【木下尚江】🔗⭐🔉
きのした-なおえ ―ナホエ 【木下尚江】
(1869-1937) 社会運動家・小説家・新聞記者。松本生まれ。普選運動・足尾鉱毒問題に活躍,また日露非戦論を展開。「火の柱」「良人の自白」は社会主義小説の代表的作品。評論「飢渇」
きのした-もくたろう【木下杢太郎】🔗⭐🔉
きのした-もくたろう ―モクタラウ 【木下杢太郎】
(1885-1945) 医学者・詩人・劇作家。静岡県生まれ。本名,太田正雄。東大医学部卒。「スバル」同人。「パンの会」を興し耽美主義運動を展開した。江戸趣味・都会情緒の濃厚な享楽的な詩で知られる。詩集「食後の唄」,戯曲「南蛮寺門前」「和泉屋染物店」など。
きのした-りげん【木下利玄】🔗⭐🔉
きのした-りげん 【木下利玄】
(1886-1925) 歌人。岡山県生まれ。本名,利玄(トシハル)。東大卒。佐佐木信綱に入門,「心の花」同人。のち「白樺」の歌人として写実的歌風に独自の領域を開いた。歌集「銀」「紅玉」「一路」など。
こした-やみ【木下闇】🔗⭐🔉
こした-やみ [3] 【木下闇】
木の枝葉が茂って日光が遮られたため,樹下がほの暗いこと。また,その所。下闇。このしたやみ。[季]夏。《須磨寺や吹ぬ笛きく―/芭蕉》
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