複数辞典一括検索+![]()
![]()
いん【殷】🔗⭐🔉
いん 【殷】
中国の古代王朝。史記によると,湯(トウ)王が夏(カ)王朝の桀(ケツ)王を倒して建てたといわれる。紀元前一一世紀頃,第三〇代紂(チユウ)王のとき,周の武王に滅ぼされた。黄河中流域を支配する部族国家で,卜占(ボクセン)によって祭政を行なった。商。
→殷墟(インキヨ)
いん-いん【殷殷】🔗⭐🔉
いん-いん [0] 【殷殷】 (ト|タル)[文]形動タリ
音のとどろくさま。「―たる砲声」「―として雷の響/高野聖(鏡花)」
いん-かん【殷鑑】🔗⭐🔉
いん-かん [0] 【殷鑑】
〔「殷鑑遠からず」から〕
戒めとすべき他人の失敗の例。
いんかん=遠からず🔗⭐🔉
――遠からず
〔詩経(大雅,蕩)〕
殷王朝の鑑(=手本)は,遠く古代に求めなくても,前代の夏(カ)王朝の滅亡がよい戒めである。戒めは身近にあるということ。
いん-きょ【殷墟】🔗⭐🔉
いん-きょ 【殷墟】
中国河南省安陽県にある殷代の遺跡。紀元前一四〜一一世紀に殷後期の都があった所。一九世紀末に甲骨文字の刻まれた亀甲(キツコウ)・獣骨が発見され,1928年からの調査で大小の墳墓,宮殿・宗廟址(ソウビヨウシ)・竪穴(タテアナ)住居跡や青銅器・土器・玉石器が発掘されている。76年には原形をとどめた五号墓が発見された。
いんきょ-もじ【殷墟文字】🔗⭐🔉
いんきょ-もじ [4] 【殷墟文字】
殷墟から発見された文字。甲骨文字。
いん-しん【殷賑】🔗⭐🔉
いん-しん [0] 【殷賑】 (名・形動)[文]ナリ
にぎやかで,繁盛している・こと(さま)。「―を極める」「―な町並み」
いん-せい【殷盛】🔗⭐🔉
いん-せい [0] 【殷盛】 (名・形動)[文]ナリ
物事の盛んな・こと(さま)。繁盛。殷昌。「―を極める」
いん-ぜん【殷然】🔗⭐🔉
いん-ぜん [0] 【殷然】 (形動タリ)
(1)勢いが盛んなさま。「皇子を四方に分置し―方鎮の勢をなし/新聞雑誌 40」
(2)音がとどろきわたるさま。「余響遥に雲際に鳴りて―たり/八十日間世界一周(忠之助)」
いん-ぷ【殷富】🔗⭐🔉
いん-ぷ [1] 【殷富】 (名・形動)[文]ナリ
〔「殷」は盛んの意〕
富み栄える・こと(さま)。「国の―なるは学術の精巧なるに原本し/三酔人経綸問答(兆民)」
いんぷ-もん【殷富門】🔗⭐🔉
いんぷ-もん 【殷富門】
平安京大内裏(ダイダイリ)の外郭十二門の一。西面し上西門の南にあった。
→大内裏
いんぷ-もんいん【殷富門院】🔗⭐🔉
いんぷ-もんいん ―モン
ン 【殷富門院】
(1147-1216) 後白河天皇の皇女。名は亮子。伊勢斎宮となり,のち退下。1182年,安徳天皇の准母。後鳥羽天皇の国母。87年院号宣下。
ン 【殷富門院】
(1147-1216) 後白河天皇の皇女。名は亮子。伊勢斎宮となり,のち退下。1182年,安徳天皇の准母。後鳥羽天皇の国母。87年院号宣下。
いんぷもんいん-の-たいふ【殷富門院大輔】🔗⭐🔉
いんぷもんいん-の-たいふ ―モン
ン― 【殷富門院大輔】
平安末期の歌人。藤原信成の女(ムスメ)。後白河院皇女亮子内親王(殷富門院)の女房。「千首大輔」といわれる多作家。俊恵が主催した歌林苑の会衆の一人。「千載和歌集」以下の勅撰集に六三首入集。生没年未詳。家集「殷富門院大輔集」
ン― 【殷富門院大輔】
平安末期の歌人。藤原信成の女(ムスメ)。後白河院皇女亮子内親王(殷富門院)の女房。「千首大輔」といわれる多作家。俊恵が主催した歌林苑の会衆の一人。「千載和歌集」以下の勅撰集に六三首入集。生没年未詳。家集「殷富門院大輔集」
いんいん【殷々とひびく】(和英)🔗⭐🔉
いんいん【殷々とひびく】
boom[roar](砲声など).→英和
大辞林に「殷」で始まるの検索結果 1-14。