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広辞苑の検索結果 (8)
きたばたけ【北畠】🔗⭐🔉
きたばたけ【北畠】
姓氏の一つ。村上源氏の一流。のち伊勢国司を世襲。
⇒きたばたけ‐あきいえ【北畠顕家】
⇒きたばたけ‐あきのぶ【北畠顕信】
⇒きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】
⇒きたばたけ‐じゅごう【北畠准后】
⇒きたばたけ‐ちかふさ【北畠親房】
⇒きたばたけ‐とものり【北畠具教】
⇒きたばたけ‐みつまさ【北畠満雅】
きたばたけ‐あきいえ【北畠顕家】‥イヘ🔗⭐🔉
きたばたけ‐あきいえ【北畠顕家】‥イヘ
南北朝時代の公家。親房の長子。1333年(元弘3)陸奥守、のち鎮守府将軍を兼ね、義良親王を奉じて奥羽を鎮定。後醍醐天皇吉野落ちの翌年、親王を奉じて西上、各地に転戦、和泉石津で戦死。(1318〜1338)
⇒きたばたけ【北畠】
きたばたけ‐あきのぶ【北畠顕信】🔗⭐🔉
きたばたけ‐あきのぶ【北畠顕信】
南北朝時代の公家。親房の次男。1338年(延元3)鎮守府将軍となり、40年(興国1)以後、奥羽で悪戦苦闘した。( 〜1380?)
⇒きたばたけ【北畠】
きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】🔗⭐🔉
きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】
南北朝時代の公家。親房の3男。1352年(正平7)南朝を率いて京都に攻め入った。( 〜1383?)
⇒きたばたけ【北畠】
きたばたけ‐じゅごう【北畠准后】🔗⭐🔉
きたばたけ‐じゅごう【北畠准后】
北畠親房の敬称。
⇒きたばたけ【北畠】
きたばたけ‐ちかふさ【北畠親房】🔗⭐🔉
きたばたけ‐ちかふさ【北畠親房】
南北朝時代の公家。鎌倉幕府滅亡後、義良親王を奉じて陸奥に赴く。1339年(延元4)「神皇正統記」を著述。吉野で後村上天皇をたすけて南朝の支柱となる。著はほかに「元元集」「職原鈔」「関城書」など。賀名生あのうで没。(1293〜1354)
→著作:『神皇正統記』
⇒きたばたけ【北畠】
きたばたけ‐とものり【北畠具教】🔗⭐🔉
きたばたけ‐とものり【北畠具教】
戦国時代の武将。伊勢国司。織田信長に攻められ、居城大河内城を失い、信長の次男信雄のぶかつを子具房の猶子として家督を譲る。(1528〜1576)
⇒きたばたけ【北畠】
きたばたけ‐みつまさ【北畠満雅】🔗⭐🔉
きたばたけ‐みつまさ【北畠満雅】
室町時代の武将。伊勢国司。1414年(応永21)挙兵、幕府軍と戦ったが、いったん和解。28年(正長1)南朝の後胤小倉宮を奉じ再度挙兵し、敗死。( 〜1428)
⇒きたばたけ【北畠】
大辞林の検索結果 (9)
きたばたけ【北畠】🔗⭐🔉
きたばたけ 【北畠】
姓氏の一。村上源氏中院流。鎌倉・南北朝時代の公家。室町時代には伊勢国司として三国司家の一に数えられた。
きたばたけ-あきいえ【北畠顕家】🔗⭐🔉
きたばたけ-あきいえ ―アキイヘ 【北畠顕家】
(1318-1338) 南北朝時代の公家・武将。親房の長子。1333年,陸奥(ムツ)守に任ぜられ,義良(ノリナガ)親王(のちの後村上天皇)を奉じて下向,鎮守府将軍を兼ねた。足利尊氏が建武政権に叛すると,親王を奉じて各地に転戦,和泉石津で戦死した。最後の出陣にあたって,六か条からなる諫奏(カンソウ)を後醍醐天皇に呈した。
きたばたけ-あきのぶ【北畠顕信】🔗⭐🔉
きたばたけ-あきのぶ 【北畠顕信】
(?-1380?) 南北朝時代の武将。親房の次男。兄顕家の死後,鎮守府将軍となり,東北地方の南朝勢力の中心として奮戦。
きたばたけ-あきよし【北畠顕能】🔗⭐🔉
きたばたけ-あきよし 【北畠顕能】
(?-1383?) 南北朝時代の武将。親房の三男。伊勢一志郡多気に築城し,幕府軍と連戦した。
きたばたけ-じゅごう【北畠准后】🔗⭐🔉
きたばたけ-じゅごう 【北畠准后】
北畠親房(チカフサ)の異名。
きたばたけ-じんじゃ【北畠神社】🔗⭐🔉
きたばたけ-じんじゃ 【北畠神社】
三重県一志郡美杉村にある神社。北畠親房・顕家・顕能をまつる。
きたばたけ-ちかふさ【北畠親房】🔗⭐🔉
きたばたけ-ちかふさ 【北畠親房】
(1293-1354) 南北朝時代の公家・武将・学者。後醍醐天皇に仕え,建武政権成立後,東北経営にあたった。南北朝分裂後,天皇を吉野に遷して南朝の重鎮として活躍。常陸小田城に拠ったとき「神皇正統記」を著した。ほかに「職原抄」「元元集」など。
きたばたけ-とものり【北畠具教】🔗⭐🔉
きたばたけ-とものり 【北畠具教】
(1528-1576) 戦国時代の武将。伊勢国司。織田信長の次男を嫡子具房の養嗣子とし信雄と名のらせて伊勢国司を譲るが,信雄らに謀られ自刃した。
きたばたけ-みつまさ【北畠満雅】🔗⭐🔉
きたばたけ-みつまさ 【北畠満雅】
(?-1428) 室町時代の武将。伊勢国司。多気郡を拠点として南北朝合一後も南朝を支持,小倉宮を迎えたが敗死。
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