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まつお‐ばしょう【松尾芭蕉】‥ヲ‥セウ🔗🔉

まつお‐ばしょう松尾芭蕉‥ヲ‥セウ 江戸前期の俳人。名は宗房。号は「はせを」と自署。別号、桃青・泊船堂・釣月軒・風羅坊など。伊賀上野に生まれ、藤堂良精の子良忠(俳号、蝉吟)の近習となり、俳諧に志した。一時京都にあり北村季吟にも師事、のち江戸に下り水道工事などに従事したが、やがて深川の芭蕉庵に移り、談林の俳風を超えて俳諧に高い文芸性を賦与し、蕉風を創始。その間各地を旅して多くの名句と紀行文を残し、難波の旅舎に没。句は「俳諧七部集」などに結集、主な紀行・日記に「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」「嵯峨日記」などがある。(1644〜1694) →作品:『笈の小文』 →作品:『奥の細道』 →作品:『鹿島紀行』 →作品:『幻住庵記』 →作品:『嵯峨日記』 →作品:『更科紀行』 →作品:『野ざらし紀行』 ⇒まつお【松尾】

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まつお-ばしょう【松尾芭蕉】🔗🔉

まつお-ばしょう マツヲバセウ 【松尾芭蕉】 (1644-1694) 江戸前期の俳人。伊賀上野の生まれ。名を宗房。別号,桃青・泊船堂・風羅坊など。仮名書き署名は「はせを」。藤堂藩伊賀付侍大将家の嫡子藤堂良忠(俳号蝉吟)の近習となり,その感化で俳諧を学ぶ。良忠の病没後,京都で北村季吟に師事。のち江戸に下り,俳壇内に地盤を形成,深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風を開拓した。「おくのほそ道」の旅の体験から,不易(フエキ)流行の理念を確立し,以後その実践を「細み」に求め,晩年には俳諧本来の庶民性に立ち戻った「軽み」の俳風に達した。俳諧を文芸として高めた功は大きい。後世,代表作を「俳諧七部集」に収める。主な紀行・日記に「野ざらし紀行」「笈(オイ)の小文」「更科紀行」「おくのほそ道」「幻住庵記」「嵯峨日記」などがある。

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