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せいねん【青年】(作品名)🔗🔉

せいねん青年】 小説。森鴎外作。1910年(明治43)〜11年、「スバル」に連載。作家志望の青年小泉純一が上京して2カ月余の生活を描く。明治末期の思想的危機に生きた青年の典型として漱石の「三四郎」と並称される。 →文献資料[青年]

せいねん‐かいがい‐きょうりょくたい【青年海外協力隊】‥グワイケフ‥🔗🔉

せいねん‐かいがい‐きょうりょくたい青年海外協力隊‥グワイケフ‥ 発展途上国の技術援助のために国際協力機構が青年ボランティアを派遣する制度。1965年(昭和40)発足。JOCV ⇒せい‐ねん【青年】 ○盛年重ねて来らずせいねんかさねてきたらず [陶淵明、雑詩「盛年重ねて来らず、一日再び晨あしたなり難し」]若い盛りは一生のうちに二度とは来ないから、その時代を空しく過ごしてはならない。 ⇒せい‐ねん【盛年】

せいねん‐がっきゅう【青年学級】‥ガクキフ🔗🔉

せいねん‐がっきゅう青年学級‥ガクキフ 勤労青年に対し、実生活に必要な知識・技能の習得や一般的教養の向上を目的に、市町村が開設する教室。主に農村青年の自主的な設置に始まる。青年学級振興法(1953年公布)で規定され、多くの学級が開設されたが、60年代後半以降衰微。99年振興法廃止。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐がっこう【青年学校】‥ガクカウ🔗🔉

せいねん‐がっこう青年学校‥ガクカウ 小学校卒業の勤労青年に産業実務教育・普通教育および軍事教練を施した旧制の学校。1935年青年学校令により実業補習学校と青年訓練所とを統合、全国市町村に設置。39年に男子の義務制を実施し、軍事教練を重視。47年廃止。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐き【青年期】🔗🔉

せいねん‐き青年期】 子供と大人の中間に位置する段階で、思春期から20代半ばまでの時期。性的特徴が顕著となり、自我意識が著しく発達。人間関係や経験世界の拡大が進む中で種々の社会的な発達課題にどう対処するかが重要となる。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐くんれんじょ【青年訓練所】🔗🔉

せいねん‐くんれんじょ青年訓練所】 男子勤労青年に主として軍事教練を施した機関。1926年青年訓練所令により全国市町村に創設。青年学校の前身の一つ。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねんざ【青年座】🔗🔉

せいねんざ青年座】 劇団名。成瀬昌彦・森塚敏・東恵美子らが書下し創作劇の上演を目的に1954年創立。

せいねん‐しはんがっこう【青年師範学校】‥ガクカウ🔗🔉

せいねん‐しはんがっこう青年師範学校‥ガクカウ 青年学校教員を養成した学校。1944年青年学校教員養成所を母体として設置。47年廃止。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐だん【青年団】🔗🔉

せいねん‐だん青年団】 一定地域に在住する青年によって組織され、修養・親睦・社会奉仕などを目的とする団体。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐トルコ‐とう【青年トルコ党】‥タウ🔗🔉

せいねん‐トルコ‐とう青年トルコ党‥タウ (Genç Türkler トルコ)オスマン帝国末期に立憲制をめざした改革運動。「統一進歩団」が核となり、1908年革命を遂行、第一次大戦の敗戦まで政権を担当。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐の‐いえ【青年の家】‥イヘ🔗🔉

せいねん‐の‐いえ青年の家‥イヘ 青年に対して団体宿泊訓練の機会を与えることを目的とする施設。1955年頃から設けられ、国立青年の家のほか、全国に公立のものがある。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐ぶんぽう‐がくは【青年文法学派】‥パフ‥🔗🔉

せいねん‐ぶんぽう‐がくは青年文法学派‥パフ‥ (Junggrammatiker ドイツ)1870年代後半から、ブルークマンを先頭にして、ライプチヒ大学を中心に活動した新進の印欧語研究者グループ。音変化の規則性と類推作用という原則を掲げた。 ⇒せい‐ねん【青年】

せいねん‐ヘーゲル‐がくは【青年ヘーゲル学派】🔗🔉

せいねん‐ヘーゲル‐がくは青年ヘーゲル学派】 (Junghegelianer ドイツ)1830年代に右派・中央派・左派に分裂したヘーゲル学派の左派の称。D.F.シュトラウス・バウアー兄弟・ルーゲ(A. Ruge1803〜1880)・L.フォイエルバッハ・シュティルナー・マルクス・エンゲルス・ラサールらがこれに属し、政治的急進主義と結びついた。少壮ヘーゲル学派。 ⇒せい‐ねん【青年】

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