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広辞苑の検索結果 (18)
いとう【伊藤】🔗⭐🔉
いとう‐いっとうさい【伊東一刀斎】‥タウ‥🔗⭐🔉
いとう‐いっとうさい【伊東一刀斎】‥タウ‥
(伊藤とも)江戸初期の剣客。一説に伊豆伊東の人という。弥五郎、のち景久と称。鐘巻自斎に剣法を学び一刀流を創始。門弟に神子上みこがみ典膳(小野忠明)らがいる。生没年未詳。
⇒いとう【伊東】
いとう‐きさく【伊藤熹朔】🔗⭐🔉
いとう‐きさく【伊藤熹朔】
舞台美術家。東京生れ。東京美術学校卒。築地小劇場・俳優座や商業演劇などで多くの舞台美術を手がける。(1899〜1967)
伊藤熹朔
撮影:田沼武能
⇒いとう【伊藤】
⇒いとう【伊藤】
いとう‐けいすけ【伊藤圭介】🔗⭐🔉
いとう‐けいすけ【伊藤圭介】
幕末・明治の植物学者。尾張藩の人。東大教授。シーボルトに師事、リンネの植物分類法を抄訳し「泰西本草名疏」を刊行。著「日本産物志」「日本植物図説」など。(1803〜1901)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐さちお【伊藤左千夫】‥ヲ🔗⭐🔉
いとう‐さちお【伊藤左千夫】‥ヲ
歌人。名は幸次郎。上総(千葉県)生れ。1900年(明治33)正岡子規の門に入る。子規没後、「馬酔木あしび」「アララギ」などを発刊し、その写生主義を強調。歌風は万葉風。門下に赤彦・茂吉などを出し、写生文の小説にも長じた。歌集・歌論集のほか、小説「野菊の墓」など。(1864〜1913)
伊藤左千夫
提供:毎日新聞社
→作品:『野菊の墓』
⇒いとう【伊藤】
→作品:『野菊の墓』
⇒いとう【伊藤】
いとう‐じゃくちゅう【伊藤若冲】🔗⭐🔉
いとう‐じゃくちゅう【伊藤若冲】
江戸中期の画家。名は汝鈞じょきん、斗米庵とも号。京都の人。初め狩野派を学び、のち宋・元・明の古画を模し、光琳風を研究、動植物画に写生的な装飾画体を創案。特に鶏の絵に優れる。(1716〜1800)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐せい【伊藤整】🔗⭐🔉
いとう‐せい【伊藤整】
評論家・小説家。名は整ひとし。北海道生れ。東京商大中退。ジョイスらによる新心理主義文学を唱え、戦後は私小説的文学伝統・文学精神の理論化・方法化を目ざした。著「小説の方法」「日本文壇史」、小説「鳴海仙吉」「変容」など。(1905〜1969)
伊藤整
撮影:石井幸之助
⇒いとう【伊藤】
⇒いとう【伊藤】
いとう‐そうかん【伊藤宗看】🔗⭐🔉
いとう‐そうかん【伊藤宗看】
(3代)江戸中期の将棋棋士。初名、印寿。将棋所の伊藤家3代目。将棋宗家伊藤家始祖。7世将棋名人。鬼宗看と謳われる。著に詰将棋集「詰むや詰まざるや」など。(1706〜1761)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐だいすけ【伊藤大輔】🔗⭐🔉
いとう‐だいすけ【伊藤大輔】
映画監督・脚本家。愛媛県宇和島の生れ。主として時代劇をつくる。代表作「忠次旅日記」「王将」など。(1898〜1981)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐たんあん【伊藤坦庵】🔗⭐🔉
いとう‐たんあん【伊藤坦庵】
江戸前期の儒学者。名は宗恕。京都の人。初め医学を修め、のち那波活所に儒学を学び、朱子学を奉じ、福井藩に仕えた。江村専斎の談話を筆記した「老人雑話」を著す。(1623〜1708)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐ちゆう【伊藤痴遊】‥イウ🔗⭐🔉
いとう‐ちゆう【伊藤痴遊】‥イウ
政治家・講談師。本名、仁太郎。横浜生れ。自由党に入党、代議士にも当選。政界の裏面に通じ、政治講談で活躍。双木舎痴遊。(1867〜1938)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐とうがい【伊藤東涯】🔗⭐🔉
いとう‐とうがい【伊藤東涯】
江戸中期の儒学者。仁斎の長子。名は長胤ながつぐ。古義堂を継ぎ、仁斎の学問を大成したほか、中国の語学や制度に精通。著「制度通」「操觚字訣」「古今学変」など。諡おくりなして紹述先生。(1670〜1736)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐のえ【伊藤野枝】🔗⭐🔉
いとう‐のえ【伊藤野枝】
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜せいとう社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。(1895〜1923)
伊藤野枝
提供:毎日新聞社
⇒いとう【伊藤】
⇒いとう【伊藤】
いとう‐ばいう【伊藤梅宇】🔗⭐🔉
いとう‐ばいう【伊藤梅宇】
江戸中期の儒学者。仁斎の次子。備後福山藩儒。歴史や有職故実にくわしく、著「見聞談叢」など。(1683〜1745)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐ひろぶみ【伊藤博文】🔗⭐🔉
いとう‐ひろぶみ【伊藤博文】
明治の政治家。初名は利助、のち俊輔。号、春畝。長州藩士。松下村塾に学ぶ。討幕運動に参加。維新後、藩閥政権内で力を伸ばし、憲法制定の中心となる。首相・枢密院議長・貴族院議長(いずれも初代)を歴任、4度組閣し、日清戦争などにあたる。政友会を創設。1905年(明治38)韓国統監。ハルビンで朝鮮の独立運動家安重根に暗殺された。元老。公爵。(1841〜1909)
伊藤博文(1)
提供:毎日新聞社
伊藤博文(2)
提供:毎日新聞社
⇒いとう【伊藤】
伊藤博文(2)
提供:毎日新聞社
⇒いとう【伊藤】
いとう‐みちお【伊藤道郎】‥ヲ🔗⭐🔉
いとう‐みちお【伊藤道郎】‥ヲ
舞踊家。東京生れ。伊藤熹朔きさく・千田是也これやの兄。英米で舞踊家として活躍後、アーニー‐パイル劇場(東宝劇場)で制作・演出を担う。(1893〜1961)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐らんぐう【伊藤蘭嵎】🔗⭐🔉
いとう‐らんぐう【伊藤蘭嵎】
江戸中期の儒学者。仁斎の第5子。博学・能文で東涯と並称。紀州藩儒。著「紹衣稿」「易憲章」「詩古言」など。(1694〜1778)
⇒いとう【伊藤】
大辞林の検索結果 (22)
いとう【伊藤】🔗⭐🔉
いとう 【伊藤】
姓氏の一。
いとう-いっとうさい【伊藤一刀斎】🔗⭐🔉
いとう-いっとうさい ―イツタウサイ 【伊藤一刀斎】
安土桃山時代の剣客。伊豆の人。名は景久。姓は「伊東」とも。鐘巻自斎に剣法をまなび,一刀流を興した。生没年未詳。
いとう-えいのすけ【伊藤永之介】🔗⭐🔉
いとう-えいのすけ 【伊藤永之介】
(1903-1959) 小説家。秋田県生まれ。本名は栄之助。「梟」「鴉」「鶯」などで,東北農村の生活を独自な説話文体で描き,社会主義的な農民文学者として活躍。
いとう-きさく【伊藤熹朔】🔗⭐🔉
いとう-きさく 【伊藤熹朔】
(1899-1967) 舞台美術家。東京生まれ。東京美校卒。築地小劇場で多数の舞台装置を担当。のち春陽会に舞台美術部を創設するなど舞台美術の発展に貢献。
いとう-けいすけ【伊藤圭介】🔗⭐🔉
いとう-けいすけ 【伊藤圭介】
(1803-1901) 幕末・明治の博物学者。名古屋生まれ。東大教授。シーボルトにまなび,ツンベルクの「日本植物誌」により「泰西本草名疏」二巻を著す。その付録でリンネ分類を日本に初めて紹介。著「日本産物誌」など。
いとう-さちお【伊藤左千夫】🔗⭐🔉
いとう-さちお ―サチヲ 【伊藤左千夫】
(1864-1913) 歌人・小説家。千葉県生まれ。本名は幸次郎。正岡子規に師事。「馬酔木(アシビ)」「アララギ」を刊行,短歌の生命を「叫び」にあると主張。小説に「野菊之墓」などがある。
いとう-じゃくちゅう【伊藤若冲】🔗⭐🔉
いとう-じゃくちゅう 【伊藤若冲】
(1716?-1800) 江戸中期の画家。京都の人。狩野派・琳派を学び,中国明清画の筆意をくわえて動植物画に独自の画境を開く。とくに鶏の画をよくした。代表作「花鳥魚貝図三十幅」「群鶏図」
いとう-しょうう【伊藤松宇】🔗⭐🔉
いとう-しょうう 【伊藤松宇】
(1859-1943) 俳人。正岡子規らと「椎の友」を結成,俳誌「俳諧」「筑波」を創刊。句集「松宇家集」
いとう-じんさい【伊藤仁斎】🔗⭐🔉
いとう-じんさい 【伊藤仁斎】
(1627-1705) 江戸前期の儒学者。古義学の祖。京都の人。名は維
(コレエダ),字(アザナ)は源佐(ゲンスケ)。年来学んできた朱子学に疑問を抱き,直接古典,ことに「論語」「孟子」の真義をつかんで仁義の実践躬行(キユウコウ)を求める古義学を首唱。京都堀川に古義堂を開いて堀川学派と呼ばれ,門弟三千余人におよんだ。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。
(コレエダ),字(アザナ)は源佐(ゲンスケ)。年来学んできた朱子学に疑問を抱き,直接古典,ことに「論語」「孟子」の真義をつかんで仁義の実践躬行(キユウコウ)を求める古義学を首唱。京都堀川に古義堂を開いて堀川学派と呼ばれ,門弟三千余人におよんだ。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。
いとう-しんぞう【伊藤慎蔵】🔗⭐🔉
いとう-しんぞう ―シンザウ 【伊藤慎蔵】
(1826-1880) 幕末の洋学者。長門国萩の人。適塾にまなぶ。越前国大野藩の洋学館長として蘭学教育などに貢献。
いとう-しんとく【伊藤信徳】🔗⭐🔉
いとう-しんとく 【伊藤信徳】
(1633-1698) 江戸前期の俳人。京都の富商。貞徳の門人,のち談林派。若い芭蕉と交わった。
いとう-せい【伊藤整】🔗⭐🔉
いとう-せい 【伊藤整】
(1905-1969) 詩人・小説家・評論家。北海道生まれ。本名は整(ヒトシ)。東京商大中退。詩から小説に転じ,昭和初期に「新心理主義」を唱え「得能物語」などを書く。戦後は創作と文学理論の統一をめざし活躍。小説「鳴海仙吉」「氾濫」,評論「日本文壇史」など。
いとう-そうかん【伊藤宗看】🔗⭐🔉
いとう-そうかん 【伊藤宗看】
(1)(初代)(1618-1694) 江戸前期,将棋三世名人。出雲の人。大橋本家で修業し,1635年に独立して家元伊藤家をおこし,のち三世名人となる。在野派の挑戦を退けた数多の争い将棋で有名。
(2)(三代)(1706-1761) 江戸中期,将棋七世名人。将軍に献上した詰め将棋集「象戯図式」は難解かつ名作で,「詰むや詰まざるや百番」と称して有名。
いとう-だいすけ【伊藤大輔】🔗⭐🔉
いとう-だいすけ 【伊藤大輔】
(1898-1981) 映画監督。愛媛県生まれ。小山内薫に師事。「忠次旅日記」「丹下左膳」などサイレント時代劇に傑作を残す。
いとう-ためきち【伊藤為吉】🔗⭐🔉
いとう-ためきち 【伊藤為吉】
(1864-1943) 建築家。三重県生まれ。機械学・数学・漢学などを学び,渡米。帰国後,職工徒弟の教育・地位向上に腐心。のちに鉄筋コンクリート部材の研究・生産を行う。晩年は,永久動力機関の発明に没頭する。
いとう-ちゆう【伊藤痴遊】🔗⭐🔉
いとう-ちゆう ―チイウ 【伊藤痴遊】
(初代)(1867-1938) 講談師・政治家。横浜生まれ。本名は仁太郎。普通選挙第一回で衆議院議員に当選。双木舎(ソウボクシヤ)痴遊と名乗り自作の政治講談を読む。のち,講談が本業となる。著「伊藤痴遊全集」全三〇巻。
いとう-とうがい【伊藤東涯】🔗⭐🔉
いとう-とうがい 【伊藤東涯】
(1670-1736) 江戸中期の儒学者。名は長胤,字(アザナ)は源蔵,別号を慥々斎。仁斎の長男。京都堀川にあって子弟の育成に従事,仁斎の古義学を大成。著「制度通」「古今学変」「操觚字訣」など。
いとう-のえ【伊藤野枝】🔗⭐🔉
いとう-のえ 【伊藤野枝】
(1895-1923) 女性解放運動家。福岡県生まれ。青鞜(セイトウ)社に参加。のち,無政府主義運動を展開。関東大震災直後,夫大杉栄とともに虐殺された(甘粕(アマカス)事件)。
いとう-ひろぶみ【伊藤博文】🔗⭐🔉
いとう-ひろぶみ 【伊藤博文】
(1841-1909) 政治家。長州の人。初名は俊輔。松下村塾に学び,討幕運動に活躍。明治政府にあって,帝国憲法の制定,天皇制の確立に尽力。初代首相・枢密院議長・立憲政友会総裁などを歴任。組閣四度に及び,その間日清戦争を遂行。1905年(明治38)初代韓国統監。ハルビンで安重根に暗殺された。
いとう-へいざえもん【伊藤平左衛門】🔗⭐🔉
いとう-へいざえもん ―ヘイザ
モン 【伊藤平左衛門】
(1829-1913) 宮大工。名古屋の人。京都東本願寺大師堂などを造営し,社寺建築の伝統をささえた。帝室技芸員。
モン 【伊藤平左衛門】
(1829-1913) 宮大工。名古屋の人。京都東本願寺大師堂などを造営し,社寺建築の伝統をささえた。帝室技芸員。
いとう-らんぐう【伊藤蘭嵎】🔗⭐🔉
いとう-らんぐう 【伊藤蘭嵎】
(1694-1778) 江戸中期の儒学者。紀州藩儒官。仁斎の五男。博学で長兄東涯と並び称された。著「大学是正」「中庸古言」など。
いとう-ろくろべえ【伊藤六郎兵衛】🔗⭐🔉
いとう-ろくろべえ ―ロクロベ
【伊藤六郎兵衛】
(1829-1894) 幕末・明治の宗教家。武蔵国(神奈川県川崎)の人。丸山教の教祖。
→丸山教
【伊藤六郎兵衛】
(1829-1894) 幕末・明治の宗教家。武蔵国(神奈川県川崎)の人。丸山教の教祖。
→丸山教
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