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スンコロク【宋胡録・寸古録】🔗🔉

スンコロク【宋胡録・寸古録】 (タイの代表的な窯場スワンカロークの名による)桃山時代から江戸初期にかけて、日本に舶載されたスワンカローク産の焼物。その鉄絵文様の小合子を茶人が香合として珍重した。のち、タイ産の陶磁器全般をもいう。

そう【宋】🔗🔉

そう【宋】 中国の国名。 周代の諸侯国の一つ(〜前二八六)。殷の宗族、紂王の異母兄、微子啓の封ぜられた国。河南省の商邱に都し、殷の遺民を統治したと伝えられる。三二世で斉・魏・楚に滅ぼされた。 中国、南北朝時代、南朝最初の王朝(四二〇〜四七九)。東晋の部将劉裕(高祖)が建国。建康(南京)に都した。第三代文帝の治世(元嘉の治)が最盛期。八世で斉王の武将蕭道成に帝位を譲り滅んだ。建国者の姓をとって劉宋と称される。 中国の統一王朝(九六〇〜一二七九)。趙匡胤(太祖)が五代のあとをうけて建国。(べん=開封)に都して、中央集権を徹底し、文治主義の君主独裁制を樹立。文運が隆盛したが、軍事・財政危機に苦しみ、対外的には、遼・西夏・金に対して守勢にたち、一一二七年金に圧迫され九代で江南に移った。それ以前を北宋、以後臨安に都して蒙古に滅ぼされるまでを南宋と称する。

そううん【宋雲】🔗🔉

そううん【宋雲】 中国、北魏の僧官。五一八年、命を受けて北インドに行き、仏経一七〇部をもちかえった。生没年不詳。

そう‐おん【宋音】🔗🔉

そう‐おん【宋音】 漢字音の一種。一般に唐音、唐宋音と呼ばれる。平安中期から鎌倉時代にかけて伝えられた宋・元時代の中国語による漢字音をいう。おもに禅僧によって伝えられ、禅宗関係の語に多く用いる。「行灯」の「行(アン)」、「和尚」の「和(ヲ)」、「塔頭」の「頭(チュウ)」など。

そうかいよう【宋会要】(ソウクヮイエウ)🔗🔉

そうかいよう【宋会要】(ソウクヮイエウ) 中国の政書。四六〇巻。宋の宋綬奉勅撰。宋の制度の沿革を類別した史料。北宋・南宋を通じて一〇回編纂された「慶暦国朝会要」「中興会要」「淳煕会要」「光宗会要」「孝宗会要」「寧宗会要」「嘉定国朝会要」の総称。原本は亡失し、現行本は清の徐松らが「永楽大典」から編修したもの。

そう‐がく【宋学】🔗🔉

そう‐がく【宋学】 宋代に体系化された新しい儒教哲学。狭義には朱子学をさし、広義には朱子と対立した諸学説も含む。漢・唐の訓詁学が経書の意義を説くことに専念したのに対し、独自な立場から経典を解釈し、道教、仏教思想も取り入れた宇宙観、歴史観、人間観をつくった。清朝の考証学が興るまで、中国の学問の主流を占めたが、その大義名分を重んずる道学的な主張は厳格主義的な面をもつ。性理学。道学。

そう‐きょう【宋鏡】(‥キャウ)🔗🔉

そう‐きょう【宋鏡】(‥キャウ) 中国宋代に作られた鏡。花草、人物、山水図などの文様を対したものと製作者の名だけをしるしたものに大別できる。

そうぎょく【宋玉】🔗🔉

そうぎょく【宋玉】 中国、戦国時代末の楚の文人。作品に「九弁」「高唐賦」「神女賦」などがあり、形式、内容ともに屈原の継承者とされる。生没年不詳。

そう‐けいれい【宋慶齢】🔗🔉

そう‐けいれい【宋慶齢】 中華人民共和国の政治家。宋子文、宋美齢の姉。孫文夫人。第二革命失敗後、孫文と日本に亡命。孫文の死後、国民党左派を率いて蒋介石と対立した。武漢政府崩壊後、抗日倒蒋運動を行い、第二次世界大戦後は、中華人民共和国副主席となった。(一八九〇〜一九八一)

そうし【宋史】🔗🔉

そうし【宋史】 中国の歴史書。正史の一つ。四九六巻。元代、脱脱らが勅命によって編纂した。一三四五年完成。宋代の歴史を記録した紀伝体の書。

そうころく【宋胡録】🔗🔉

そうころく【宋胡録】 ⇒スンコロク(宋胡録)

そう‐しぶん【宋子文】🔗🔉

そう‐しぶん【宋子文】 中華民国の財政家、政治家。孫文夫人宋慶齢の弟、蒋介石夫人宋美齢の兄。広州中央銀行総裁、国民政府の財政部長、行政院長、駐米大使、広東省長などを歴任。(一八九一〜一九七一)

そう‐しもん【宋之問】🔗🔉

そう‐しもん【宋之問】 中国初唐の詩人。字は延清。はじめ則天武后に仕えたが、張易之や武三思らに仕えたため、玄宗のとき、死罪となった。五言詩にすぐれ、沈期とともに律体を創始し、沈宋体と称された。(〜七一二)

そう‐じゅ【宋儒】🔗🔉

そう‐じゅ【宋儒】 中国、宋代の儒学者の総称。とくに宋学の学者。また、厳格な道学者。

そうしょ【宋書】🔗🔉

そうしょ【宋書】 中国の正史。一〇〇巻。南朝梁の沈約(しんやく)等奉勅撰。二十四史の一つ。四八八年完成。何承天・山謙之・蘇宝生・徐爰らが相ついで撰述したものに沈約が若干の改訂を加え、大明末年以降宋滅亡までを書き足したもの。

そう‐じょう【宋襄】(‥ジャウ)🔗🔉

そう‐じょう【宋襄】(‥ジャウ) ⇒じょうこう(襄公) ●宋襄の仁(じん) (中国、春秋時代、宋と楚が戦った時、宋の襄公は先制攻撃を進言した公子目夷の言をしりぞけ、敵の布陣を待って戦って敗れたという「春秋左伝‐僖公二二年」に見える故事から)無益のなさけ。役に立たないあわれみ。

●宋襄の仁(じん)🔗🔉

●宋襄の仁(じん) (中国、春秋時代、宋と楚が戦った時、宋の襄公は先制攻撃を進言した公子目夷の言をしりぞけ、敵の布陣を待って戦って敗れたという「春秋左伝‐僖公二二年」に見える故事から)無益のなさけ。役に立たないあわれみ。 そう‐じょう【奏上】(‥ジャウ) 天子に申し上げること。上奏。奏申。

そう‐せん【宋銭】🔗🔉

そう‐せん【宋銭】 中国の宋代に鋳造された銅貨。わが国には、日宋貿易の隆盛に伴い平安末期頃から大量に移入され、通貨として江戸初期まで通用した。宋代に鋳造された銅の一文銭のほとんどはわが国に移入され、移入銭のうちでも最も量が多い。

そう‐ちょう【宋朝】(‥テウ)🔗🔉

そう‐ちょう【宋朝】(‥テウ) 中国、宋代の朝廷、またその時代。趙匡胤が、五代の後周のあとをうけて帝位にのぼった九六〇年から、元のために滅ぼされるまでの約三二〇年間。→宋 「そうちょうかつじ(宋朝活字)」の略。

そうちょう‐かつじ【宋朝活字】(ソウテウクヮツジ)🔗🔉

そうちょう‐かつじ【宋朝活字】(ソウテウクヮツジ) 活字体の一つ。中国、宋代の木板印刷(宋版)の書体をうつしたもので、楷書(かいしょ)をいっそう直線化した、肉の細い字体。

そう‐はん【宋版・宋板】🔗🔉

そう‐はん【宋版・宋板】 中国の宋代に出版された書籍。現存の版本のうちで最も古く、また、書体・造本ともにすぐれたものとして有名。その字体を宋朝体という。北宋版・南宋版に分けられる。宋本。

そう‐びれい【宋美齢】🔗🔉

そう‐びれい【宋美齢】 中華民国の政治家。蒋介石夫人。宋慶齢、宋子文の妹。新生活運動を行い、立法委員、婦女協会新生活運動理事長、国民党中央執行委員等を歴任。(一九〇一〜)

そう‐びんきゅう【宋敏求】(‥ビンキウ)🔗🔉

そう‐びんきゅう【宋敏求】(‥ビンキウ) 中国北宋の史学者。「唐書」の編に加わり、晩年には仁宗・英宗両朝の正史を編集。著に「長安志」「唐大詔令集」など。(一〇一九〜七九)

そう‐ぶん【宋文】🔗🔉

そう‐ぶん【宋文】 中国、宋代の文章。唐代に主流であった駢儷(べんれい)体を廃して古文復興をめざした。欧陽脩、蘇軾、蘇轍、王安石などが有名。

そう‐ほん【宋本】🔗🔉

そう‐ほん【宋本】 中国で、宋代に刊行された書物。

そう‐れん【宋濂】🔗🔉

そう‐れん【宋濂】 中国明の儒学者。字は景濂(けいれん)。号は潜渓。明の太祖に仕え「元史」を編纂。また、太祖の師として重用された。著に「宋学士全集」など。(一三一〇〜八一)

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