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すんころく【宋胡録・寸胡録】🔗🔉

すんころく宋胡録・寸胡録】 (産地スワンカロークを訛った当て字)タイ国産の古陶。江戸初期日本に渡来したものは香合などに賞用。

そう【宋】🔗🔉

そう】 ①中国古代、周代の一国。殷の宗族微子啓が封ぜられ、商丘(河南省商丘県)に都した。戦国時代に入って王を称したが、斉に滅ぼされた。 ②中国、南朝の一国。東晋の将軍劉裕(武帝)が建てた。都は建康(南京)。8世で斉王蕭道成に帝位を譲った。劉宋。(420〜479) 宋(歴代世系) ③中国、後周の将軍趙匡胤ちょうきょういんが建てた王朝。べん(開封)に都し、文治主義による官僚政治を樹立したが、外は遼・西夏の侵入に悩まされ、内は財政の窮迫に苦しみ、1127年金の侵入により9代で江南に逃れた。これまでを北宋といい、以後、臨安(杭州)に都して、9代で元に滅ぼされるまでを南宋という。(960〜1276)

そううん【宋雲】🔗🔉

そううん宋雲】 北魏の僧。敦煌の人。孝明帝の命によりインドに渡った。旅行記「宋雲行記」は「洛陽伽藍記」に収められ、西域研究の重要資料。生没年未詳。

そう‐おん【宋音】🔗🔉

そう‐おん宋音】 日本漢字音の一つ。従来、唐音として一括されていた音の一部分。日本の入宋僧または渡来した宋僧の伝えたという音。実質上は唐末から元初のころまでの音で、鎌倉時代までに渡航した禅僧・商人から民間に流布した音と同一のものとされる。「行」をアン、「杜」をヅと発音する類。→漢音→呉音→唐音

そうかいよう【宋会要】‥クワイエウ🔗🔉

そうかいよう宋会要‥クワイエウ 宋代の制度の沿革を類別・集大成した書。勅により宋の宋綬ら編。原本は亡失、「永楽大典」に収録された部分だけ残り、清の徐松らがそこから抽出したのが現本「徐輯本宋会要輯稿」。

そう‐がく【宋学】🔗🔉

そう‐がく宋学】 宋代に確立した新しい儒学。漢学2に対していう。一般に、北宋の周敦頤しゅうとんい・張載・程顥ていこう・程頤ていいらが、陰陽五行などの伝統的観念や、老荘の学、仏教の哲理や世界観をとりこんで儒学を新しく体系づけ、南宋の朱熹(朱子)が集大成したとされるものを指す。漢・唐の訓詁学に対して、理学・性理学・道学ともいい、また程朱学・朱子学と同義にも用いられる。近世東アジアの思想に大きな影響を及ぼした。→儒学→朱子学

そう‐きょう【宋鏡】‥キヤウ🔗🔉

そう‐きょう宋鏡‥キヤウ 宋代の鏡。唐式鏡・湖州鏡・柄鏡えかがみ・複製古鏡の4種に大別。芸術的価値は漢鏡や唐鏡に劣るが、実用的。

そう‐きょうじん【宋教仁】‥ケウ‥🔗🔉

そう‐きょうじん宋教仁‥ケウ‥ (Song Jiaoren)近代中国の革命家・政治家。湖南省桃源生れ。1904年反清蜂起に失敗して日本に亡命、中国同盟会の結成に参画。民国成立後は国民党を率いて議院内閣制を主張するも、袁世凱により暗殺。(1882〜1913)

そう‐ぎょく【宋玉】🔗🔉

そう‐ぎょく宋玉】 中国、戦国末の詩人。楚の人。屈原に辞賦を学び、宮廷詩人として名声があったという。屈宋と併称。作「九弁」「神女賦」「高唐賦」など。(前303?〜前221?)

そう‐けいれい【宋慶齢】🔗🔉

そう‐けいれい宋慶齢】 (Song Qingling)中国の政治家。孫文の妻。国民党左派に属し、人民共和国成立とともに国家副主席。姉の靄齢あいれいは孔祥夫人、妹の美齢は蒋介石夫人。弟に宋子文がいる。(1893〜1981) 宋慶齢 提供:毎日新聞社

そうげん‐が【宋元画】‥グワ🔗🔉

そうげん‐が宋元画‥グワ 宋(北宋・南宋)代と元代との絵画。明清画と対比していわれることが多い。

そうげん‐ぱん【宋元版】🔗🔉

そうげん‐ぱん宋元版】 宋版・元版を合わせていう語。ともに貴重書とされる。

そうし【宋史】🔗🔉

そうし宋史】 二十四史の一つ。宋代の正史。本紀47巻、志162巻、表32巻、列伝255巻。全496巻で、歴代正史中、最も膨大。元の托克托トクトすなわち脱脱らが勅を奉じて撰。1345年成る。

そう‐し【宋詞】🔗🔉

そう‐し宋詞】 中国、宋代に盛行した韻文の体。宋代を代表する文学は詞とされ、漢文・唐詩・宋詞・元曲と併称される。→填詞てんし

そう‐しせき【宋紫石】🔗🔉

そう‐しせき宋紫石】 江戸中期の画家。本姓、楠本。名は幸八。号、雪渓。江戸生れ。長崎に遊学、熊斐ゆうひに沈南蘋しんなんぴんの写生的な花鳥画風を学び、また中国人画家宋紫岩に師事して改名。平賀源内とも交友。(1715〜1786)

そう‐しぶん【宋子文】🔗🔉

そう‐しぶん宋子文】 (Song Ziwen)中国の政治家・財政家。浙江財閥の代表者。宋慶齢の弟、宋美齢の兄。広東省の人。中央銀行総裁・国民政府行政院長などを歴任。(1894〜1971)

そう‐しもん【宋之問】🔗🔉

そう‐しもん宋之問】 初唐の詩人。字は延清。則天武后の宮廷詩人として活躍。のち南へ流され、ついには死を賜る。作風は流麗で精工、沈佺期しんせんきとともに七言律詩の確立に貢献、沈宋と併称された。(656〜712)

そう‐じゅ【宋儒】🔗🔉

そう‐じゅ宋儒】 宋代の儒者の総称。特に、周・張・程・朱ら宋学の学統につながる儒者。

そうしょ【宋書】🔗🔉

そうしょ宋書】 二十四史の一つ。南朝の宋の正史。帝紀10巻、志30巻、列伝60巻。487年、南朝の梁の沈約しんやくが斉の武帝の勅を受けて撰、翌年成る。 →資料:宋書倭国伝

そう‐じょう【宋襄】‥ジヤウ🔗🔉

そう‐じょう宋襄‥ジヤウ 中国、春秋時代の宋の襄公。 ⇒そうじょう‐の‐じん【宋襄の仁】

そうじょう‐の‐じん【宋襄の仁】‥ジヤウ‥🔗🔉

そうじょう‐の‐じん宋襄の仁‥ジヤウ‥ [左伝僖公22年](楚との戦いで、宋の公子目夷が楚の布陣しないうちに討ちたいと請うたが、襄公は、君子は人の困っている時に苦しめてはいけないといって討たず、かえって楚のために敗れたという故事)無益のなさけ。時宜を得ていない憐れみ。 ⇒そう‐じょう【宋襄】

そう‐せん【宋銭】🔗🔉

そう‐せん宋銭】 宋代(960〜1279)に鋳造された銅銭。日本には平安末期から鎌倉時代にかけて日宋貿易と共に多数輸入され、国内に流通した。

そう‐ちょう【宋朝】‥テウ🔗🔉

そう‐ちょう宋朝‥テウ ①宋の朝廷。また、その国・時代。 ②(→)宋朝体の略。 ⇒そうちょう‐たい【宋朝体】

そうちょう‐たい【宋朝体】‥テウ‥🔗🔉

そうちょう‐たい宋朝体‥テウ‥ 木版または活字の書体の一つ。楷書体で風雅なもの。→清朝せいちょう→明朝みんちょう 宋朝体 ⇒そう‐ちょう【宋朝】

そう‐てき【宋迪】🔗🔉

そう‐てき宋迪】 北宋の文人画家。河南洛陽の人。11世紀に活躍。平遠山水にすぐれ、瀟湘八景図を創始したと伝える。

そう‐はん【宋版・宋板】🔗🔉

そう‐はん宋版・宋板】 中国の宋代に刊行された書籍。仏典・儒学経典・史書・漢詩文集などが中心で、印刷・校勘ともにすぐれる。宋本。宋槧そうざん本。宋刊本。

そう‐びれい【宋美齢】🔗🔉

そう‐びれい宋美齢】 (Song Meiling)宋家三姉妹の末妹。米国に留学、1927年蒋介石の後妻。国民政府の要職を歴任。西安事件や対米外交に活躍。(1901〜2003)

そう‐びんきゅう【宋敏求】‥キウ🔗🔉

そう‐びんきゅう宋敏求‥キウ 北宋中期の政治家・学者。編著「長安志」「唐大詔令集」など。(1019〜1079)

そう‐ぶん【宋文】🔗🔉

そう‐ぶん宋文】 中国、宋代に起こった文章。古文復興を目指した。

そう‐れん【宋濂】🔗🔉

そう‐れん宋濂】 元末・明初の学者・官僚。字は景濂。潜渓と号。浙江潜渓の人。明の太祖を補佐し、太子の傅たること十余年。また総裁として元史を編集。著「宋文憲公全集」「浦陽人物記」。(1310〜1381)

[漢]宋🔗🔉

 字形 〔宀部4画/7画/3355・4157〕 〔音〕ソウ(漢) [意味] ①中国春秋時代の国名。「宋襄そうじょうの仁」 ②中国の王朝の名。 ㋐南北朝時代、南朝の劉りゅう氏が建てた国。劉宋。四二〇〜四七九年。 ㋑五代の後、趙ちょう氏が建て、元に滅ぼされた国。北宋と南宋。趙宋。九六〇〜一二七九年。「宋音・宋学・宋版」

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