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広辞苑の検索結果 (31)
すんころく【宋胡録・寸胡録】🔗⭐🔉
すんころく【宋胡録・寸胡録】
(産地スワンカロークを訛った当て字)タイ国産の古陶。江戸初期日本に渡来したものは香合などに賞用。
そう【宋】🔗⭐🔉
そう【宋】
①中国古代、周代の一国。殷の宗族微子啓が封ぜられ、商丘(河南省商丘県)に都した。戦国時代に入って王を称したが、斉に滅ぼされた。
②中国、南朝の一国。東晋の将軍劉裕(武帝)が建てた。都は建康(南京)。8世で斉王蕭道成に帝位を譲った。劉宋。(420〜479)
宋(歴代世系)
③中国、後周の将軍趙匡胤ちょうきょういんが建てた王朝。
べん(開封)に都し、文治主義による官僚政治を樹立したが、外は遼・西夏の侵入に悩まされ、内は財政の窮迫に苦しみ、1127年金の侵入により9代で江南に逃れた。これまでを北宋といい、以後、臨安(杭州)に都して、9代で元に滅ぼされるまでを南宋という。(960〜1276)


そううん【宋雲】🔗⭐🔉
そううん【宋雲】
北魏の僧。敦煌の人。孝明帝の命によりインドに渡った。旅行記「宋雲行記」は「洛陽伽藍記」に収められ、西域研究の重要資料。生没年未詳。
そう‐おん【宋音】🔗⭐🔉
そうかいよう【宋会要】‥クワイエウ🔗⭐🔉
そうかいよう【宋会要】‥クワイエウ
宋代の制度の沿革を類別・集大成した書。勅により宋の宋綬ら編。原本は亡失、「永楽大典」に収録された部分だけ残り、清の徐松らがそこから抽出したのが現本「徐輯本宋会要輯稿」。
そう‐がく【宋学】🔗⭐🔉
そう‐きょう【宋鏡】‥キヤウ🔗⭐🔉
そう‐きょう【宋鏡】‥キヤウ
宋代の鏡。唐式鏡・湖州鏡・柄鏡えかがみ・複製古鏡の4種に大別。芸術的価値は漢鏡や唐鏡に劣るが、実用的。
そう‐きょうじん【宋教仁】‥ケウ‥🔗⭐🔉
そう‐きょうじん【宋教仁】‥ケウ‥
(Song Jiaoren)近代中国の革命家・政治家。湖南省桃源生れ。1904年反清蜂起に失敗して日本に亡命、中国同盟会の結成に参画。民国成立後は国民党を率いて議院内閣制を主張するも、袁世凱により暗殺。(1882〜1913)
そう‐ぎょく【宋玉】🔗⭐🔉
そう‐ぎょく【宋玉】
中国、戦国末の詩人。楚の人。屈原に辞賦を学び、宮廷詩人として名声があったという。屈宋と併称。作「九弁」「神女賦」「高唐賦」など。(前303?〜前221?)
そう‐けいれい【宋慶齢】🔗⭐🔉
そう‐けいれい【宋慶齢】
(Song Qingling)中国の政治家。孫文の妻。国民党左派に属し、人民共和国成立とともに国家副主席。姉の靄齢あいれいは孔祥
夫人、妹の美齢は蒋介石夫人。弟に宋子文がいる。(1893〜1981)
宋慶齢
提供:毎日新聞社


そうげん‐が【宋元画】‥グワ🔗⭐🔉
そうげん‐が【宋元画】‥グワ
宋(北宋・南宋)代と元代との絵画。明清画と対比していわれることが多い。
そうげん‐ぱん【宋元版】🔗⭐🔉
そうげん‐ぱん【宋元版】
宋版・元版を合わせていう語。ともに貴重書とされる。
そうし【宋史】🔗⭐🔉
そうし【宋史】
二十四史の一つ。宋代の正史。本紀47巻、志162巻、表32巻、列伝255巻。全496巻で、歴代正史中、最も膨大。元の托克托トクトすなわち脱脱らが勅を奉じて撰。1345年成る。
そう‐しせき【宋紫石】🔗⭐🔉
そう‐しせき【宋紫石】
江戸中期の画家。本姓、楠本。名は幸八。号、雪渓。江戸生れ。長崎に遊学、熊斐ゆうひに沈南蘋しんなんぴんの写生的な花鳥画風を学び、また中国人画家宋紫岩に師事して改名。平賀源内とも交友。(1715〜1786)
そう‐しぶん【宋子文】🔗⭐🔉
そう‐しぶん【宋子文】
(Song Ziwen)中国の政治家・財政家。浙江財閥の代表者。宋慶齢の弟、宋美齢の兄。広東省の人。中央銀行総裁・国民政府行政院長などを歴任。(1894〜1971)
そう‐しもん【宋之問】🔗⭐🔉
そう‐しもん【宋之問】
初唐の詩人。字は延清。則天武后の宮廷詩人として活躍。のち南へ流され、ついには死を賜る。作風は流麗で精工、沈佺期しんせんきとともに七言律詩の確立に貢献、沈宋と併称された。(656〜712)
そう‐じゅ【宋儒】🔗⭐🔉
そう‐じゅ【宋儒】
宋代の儒者の総称。特に、周・張・程・朱ら宋学の学統につながる儒者。
そう‐じょう【宋襄】‥ジヤウ🔗⭐🔉
そう‐じょう【宋襄】‥ジヤウ
中国、春秋時代の宋の襄公。
⇒そうじょう‐の‐じん【宋襄の仁】
そうじょう‐の‐じん【宋襄の仁】‥ジヤウ‥🔗⭐🔉
そうじょう‐の‐じん【宋襄の仁】‥ジヤウ‥
[左伝僖公22年](楚との戦いで、宋の公子目夷が楚の布陣しないうちに討ちたいと請うたが、襄公は、君子は人の困っている時に苦しめてはいけないといって討たず、かえって楚のために敗れたという故事)無益のなさけ。時宜を得ていない憐れみ。
⇒そう‐じょう【宋襄】
そう‐せん【宋銭】🔗⭐🔉
そう‐せん【宋銭】
宋代(960〜1279)に鋳造された銅銭。日本には平安末期から鎌倉時代にかけて日宋貿易と共に多数輸入され、国内に流通した。
そう‐ちょう【宋朝】‥テウ🔗⭐🔉
そう‐ちょう【宋朝】‥テウ
①宋の朝廷。また、その国・時代。
②(→)宋朝体の略。
⇒そうちょう‐たい【宋朝体】
そう‐てき【宋迪】🔗⭐🔉
そう‐てき【宋迪】
北宋の文人画家。河南洛陽の人。11世紀に活躍。平遠山水にすぐれ、瀟湘八景図を創始したと伝える。
そう‐はん【宋版・宋板】🔗⭐🔉
そう‐はん【宋版・宋板】
中国の宋代に刊行された書籍。仏典・儒学経典・史書・漢詩文集などが中心で、印刷・校勘ともにすぐれる。宋本。宋槧そうざん本。宋刊本。
そう‐びれい【宋美齢】🔗⭐🔉
そう‐びれい【宋美齢】
(Song Meiling)宋家三姉妹の末妹。米国に留学、1927年蒋介石の後妻。国民政府の要職を歴任。西安事件や対米外交に活躍。(1901〜2003)
そう‐びんきゅう【宋敏求】‥キウ🔗⭐🔉
そう‐びんきゅう【宋敏求】‥キウ
北宋中期の政治家・学者。編著「長安志」「唐大詔令集」など。(1019〜1079)
そう‐ぶん【宋文】🔗⭐🔉
そう‐ぶん【宋文】
中国、宋代に起こった文章。古文復興を目指した。
そう‐れん【宋濂】🔗⭐🔉
そう‐れん【宋濂】
元末・明初の学者・官僚。字は景濂。潜渓と号。浙江潜渓の人。明の太祖を補佐し、太子の傅ふたること十余年。また総裁として元史を編集。著「宋文憲公全集」「浦陽人物記」。(1310〜1381)
[漢]宋🔗⭐🔉
宋 字形
〔宀部4画/7画/3355・4157〕
〔音〕ソウ(漢)
[意味]
①中国春秋時代の国名。「宋襄そうじょうの仁」
②中国の王朝の名。
㋐南北朝時代、南朝の劉りゅう氏が建てた国。劉宋。四二〇〜四七九年。
㋑五代の後、趙ちょう氏が建て、元に滅ぼされた国。北宋と南宋。趙宋。九六〇〜一二七九年。「宋音・宋学・宋版」

大辞林の検索結果 (27)
そう【宋】🔗⭐🔉
そう 【宋】
中国の国名。
(1)周代の諸侯国の一((?-前286))。殷(イン)の宗族微子啓が封ぜられ,商邱(シヨウキユウ)に都し殷の遺民を統治したという。斉・魏(ギ)・楚(ソ)の三国に滅ぼされた。
(2)南北朝時代,南朝最初の王朝。東晋の武将劉裕が恭帝の禅譲を受けて建国(420-479)。都は建康。八世で武将の蕭道成(シヨウドウセイ)に帝位を譲った。劉宋。
(3)五代十国を統一した王朝。趙匡胤(チヨウキヨウイン)が
(ベン)(開封)に都して建国(960-1279)。遼(リヨウ)・西夏の圧迫を受け,1127年金軍の侵入によって江南に移り(靖康の変),臨安(杭州)に都した。これ以前を北宋,元軍に滅ぼされるまでを南宋という。

そう-あかえ【宋赤絵】🔗⭐🔉
そう-あかえ ―アカ
[3] 【宋赤絵】
中国宋代(金代)に創始された赤絵陶器。素地(キジ)に白化粧し,釉(ウワグスリ)の上から赤・黄・緑の顔料で花鳥などの簡素な文様を描く。

そううん【宋雲】🔗⭐🔉
そううん 【宋雲】
北魏(ホクギ)の僧侶。518年,胡太后の命によりインドへ行き,経典一七〇部を収集。同時に,インド諸国との外交関係を樹立した。生没年未詳。
そう-おうせい【宋応星】🔗⭐🔉
そう-おうせい 【宋応星】
(1590頃-1650頃) 中国,明末の学者。江西省の人。「天工開物」の著者として知られる。
そう-おん【宋音】🔗⭐🔉
そう-おん [1] 【宋音】
宋から元初の頃までに日本に伝来した漢字音。「行」を「アン」,「鈴」を「リン」と読む類。一般には,唐音(トウオン)と呼ばれる。
そうかいよう【宋会要】🔗⭐🔉
そうかいよう ソウクワイエウ 【宋会要】
中国,宋代の制度の沿革を類別に集大成した書。宋の宋綬(ソウジユ)らの撰。北宋・南宋を通じて一〇回編纂(ヘンサン)されたが,原本は明代に亡逸。現行本は清代の徐松が「永楽大典」の収載部分から復元したもの。
そう-がく【宋学】🔗⭐🔉
そう-がく [0][1] 【宋学】
中国,宋代に出現した新儒学の総称で,主として朱子学をさす。漢・唐の訓詁(クンコ)学にそのまま依拠することなく,宋代の合理的精神によって古典を主体的に解釈し,理気論によって儒教の教理を哲学的に体系化し,士大夫(官僚)自身に忠誠な聖人となることを志向する意識を浸透させたので,理学(性理学)とも呼ばれる。朱子学と対立した宋の陸九淵らの心学派や,陳亮・葉適(シヨウセキ)らの事功学派(永嘉学派)なども広義には含まれることがある。
→朱子学
そう-ぎょく【宋玉】🔗⭐🔉
そう-ぎょく 【宋玉】
中国,戦国時代,楚(ソ)の文人。楚王に仕え,のち落魄の生涯を送ったといわれるが,生没年・伝記ともに未詳。屈原の弟子で,「九弁」(「楚辞章句」所収)「高唐賦」「神女賦」「対楚王問」などの作者とされる。
そう-けいれい【宋慶齢】🔗⭐🔉
そう-けいれい 【宋慶齢】
(1890-1981) 中国の政治家。広東省の人。孫文の夫人。宋子文・宋美齢の姉。孫文の死後,国民党左派の立場を堅持して,国民政府の反動化を批判。中華人民共和国成立後,国家副首席。ソン=チンリン。
そうげん-が【宋元画】🔗⭐🔉
そうげん-が ―グワ [0] 【宋元画】
中国,宋・元の時代の絵画。日本では特に,鎌倉・室町時代に伝えられた院体画・水墨画・仏画などをいう。
そう-こう【宋江】🔗⭐🔉
そう-こう ソウカウ 【宋江】
小説「水滸伝(スイコデン)」の主人公。梁山泊(リヨウザンパク)にたてこもり一〇八人の豪傑たちを率いて官軍と戦った。のち朝廷に帰順し方臘(ホウロウ)の乱鎮圧で大功を立てたが,姦臣にねたまれて毒酒をあおって死んだ。北宋末に山東で反乱を起こした宋江をモデルとする。
そう-し【宋詞】🔗⭐🔉
そう-し [0][1] 【宋詞】
中国,宋代に流行した楽曲を伴う韻文の歌曲。漢代の文,唐代の詩,元代の曲に対するもの。
そうし【宋史】🔗⭐🔉
そうし 【宋史】
中国二十四史の一。宋の歴史を記した正史。四九六巻。元の順帝の命により脱脱(托克托(トクト))らの編。1345年成立。本紀四七巻・志一六二巻・表三二巻・列伝二五五巻。
そう-じ【宋磁】🔗⭐🔉
そう-じ [0][1] 【宋磁】
中国,宋代の磁器。簡美・清新な美しさが特色。白磁・青磁・天目などが有名。逸品が多く,世界的な工芸品とされる。
そう-しぶん【宋子文】🔗⭐🔉
そう-しぶん 【宋子文】
(1894-1971) 中国の政治家・実業家。広東省の人。国民政府の財政部長・行政院長・中国銀行総裁などを歴任。1949年渡仏,のち滞米,63年帰台。宋慶齢の弟,宋美齢の兄。ソン=ツーウェン。
そう-しもん【宋之問】🔗⭐🔉
そう-しもん 【宋之問】
(656頃-712) 中国,初唐の詩人。字(アザナ)は延清。則天武后に詩才を認められたが,醜行多く,しばしば左遷され,ついに睿宗に死を賜った。友人沈
期とともに五言律詩の定型をつくり,「沈宋」と並称される。

そう-じゅ【宋儒】🔗⭐🔉
そう-じゅ [1] 【宋儒】
中国,宋代の儒者。程子・朱子など。
そうしょ【宋書】🔗⭐🔉
そうしょ 【宋書】
中国二十四史の一。南朝宋の正史。一〇〇巻。南朝梁の沈約(シンヤク)の撰。488年完成。帝紀一〇巻・志三〇巻・列伝六〇巻。
そう-じょう【宋襄】🔗⭐🔉
そう-じょう ―ジヤウ 【宋襄】
中国,春秋時代の宋の王,襄公。
そうじょう-の-じん【宋襄の仁】🔗⭐🔉
そうじょう-の-じん ―ジヤウ― 【宋襄の仁】
〔宋と楚(ソ)との戦いの際,宋の公子目夷が楚の布陣しないうちに攻撃しようと進言したが,襄公は君子は人の困っているときに苦しめてはいけないといって攻めず,楚に敗れたという「左氏伝(僖公二十二年)」の故事による〕
不必要な哀れみを施してひどい目にあうこと。無益の情け。事宜を得ない哀れみ。
そう-せん【宋銭】🔗⭐🔉
そう-せん [0] 【宋銭】
中国の宋代に鋳造された銅銭。一三世紀以降,日宋貿易により大量に日本にもたらされ,戦国末期まで国内に流通した。
そう-ちょう【宋朝】🔗⭐🔉
そう-ちょう ―テウ [1] 【宋朝】
(1)中国,宋の王朝。また,その時代。
(2)漢字の活字書体の一。中国宋代の書体を模した活字。縦長で,肉が細い。名刺などに用いる。宋朝体。
そう-はん【宋版・宋板】🔗⭐🔉
そう-はん [1][0] 【宋版・宋板】
中国,宋代に刊行された書物。最古の木版印刷で,造本・書体ともにすぐれている。
そう-びれい【宋美齢】🔗⭐🔉
そう-びれい 【宋美齢】
(1901- ) 中国の政治家。蒋介石の夫人。宋慶齢・宋子文の妹。西安事件では蒋の救出に努め,第二次大戦後は再三渡米して対華援助を要請した。ソン=メイリン。
そう-びんきゅう【宋敏求】🔗⭐🔉
そう-びんきゅう ―ビンキウ 【宋敏求】
(1019-1079) 中国,北宋中期の学者。字(アザナ)は次道。「唐書」の編纂に加わる。編著「唐大詔令集」「長安志」など。
そう-ぶん【宋文】🔗⭐🔉
そう-ぶん [0] 【宋文】
宋代の文章。唐代の四六駢儷(ベンレイ)体に替わって古文復興が盛んに唱えられた。欧陽脩・蘇洵・蘇軾など。
そう-れん【宋濂】🔗⭐🔉
そう-れん 【宋濂】
(1310-1381) 明初の学者。字(アザナ)は景濂。洪武帝の顧問として礼楽・制度を定め,明創業の功臣の一人とされる。「元史」編纂総裁。著「宋学士全集」ほか。
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