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い‐とう【以東】🔗🔉

い‐とう以東】 その地点から東。一般に、その地点を含んでいう。

いとう【伊当・伊富】🔗🔉

いとう伊当・伊富】 サケ科の淡水産の硬骨魚。全長約1.5メートル。体側に黒点が散在する。北海道・樺太に分布。個体数は少なく、釣り人の垂涎の的。イト。

いとう【伊東】(地名)🔗🔉

いとう伊東】 静岡県伊豆半島東岸の市。温泉を中心とする観光・保養地。人口7万2千。

いと・う【厭う】イトフ🔗🔉

いと・う厭うイトフ 〔他五〕 (キラ(嫌)ウが相手を積極的に切り捨て遠ざける意であるのに対して、イトウはいやな相手を避けて身を引く意) ①好まないで避ける。いやがる。万葉集18「ほととぎす―・ふ時なし」。「労を―・わない」 ②この世を避け離れる。出家する。源氏物語夕霧「世の憂きにつけて―・ふは、なかなか人悪きわざなり」 ③害ありとして避ける。御伽草子、酒呑童子「縁より下へおるるさへお乳や乳母のつき添ひて、荒き風をも―・ひしに」 ④いたわる。かばう。大事にする。狂言、鞍馬聟「人を一人―・はせらるるに依つて」。「時節柄おからだをお―・い下さい」

いとうイタウ🔗🔉

いとうイタウ (イタクの音便) ⇒いたい(痛い)5

いとう‐いっとうさい【伊東一刀斎】‥タウ‥🔗🔉

いとう‐いっとうさい伊東一刀斎‥タウ‥ (伊藤とも)江戸初期の剣客。一説に伊豆伊東の人という。弥五郎、のち景久と称。鐘巻自斎に剣法を学び一刀流を創始。門弟に神子上みこがみ典膳(小野忠明)らがいる。生没年未詳。 ⇒いとう【伊東】

いと‐うお【糸魚】‥ウヲ🔗🔉

いと‐うお糸魚‥ウヲ ⇒いとよ

いとう‐きさく【伊藤熹朔】🔗🔉

いとう‐きさく伊藤熹朔】 舞台美術家。東京生れ。東京美術学校卒。築地小劇場・俳優座や商業演劇などで多くの舞台美術を手がける。(1899〜1967) 伊藤熹朔 撮影:田沼武能 ⇒いとう【伊藤】

いとう‐けいすけ【伊藤圭介】🔗🔉

いとう‐けいすけ伊藤圭介】 幕末・明治の植物学者。尾張藩の人。東大教授。シーボルトに師事、リンネの植物分類法を抄訳し「泰西本草名疏」を刊行。著「日本産物志」「日本植物図説」など。(1803〜1901) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐げんぼく【伊東玄朴】🔗🔉

いとう‐げんぼく伊東玄朴】 幕末の蘭医・幕府奥医師。名は淵。肥前の人。シーボルトに学び、鍋島藩に勧めてオランダから牛痘苗を取り寄せて接種を行う。1858年(安政5)江戸に幕府の種痘所を開き、61年(文久1)その後身西洋医学所の取締。(1800〜1871) ⇒いとう【伊東】

いとう‐さちお【伊藤左千夫】‥ヲ🔗🔉

いとう‐さちお伊藤左千夫‥ヲ 歌人。名は幸次郎。上総(千葉県)生れ。1900年(明治33)正岡子規の門に入る。子規没後、「馬酔木あしび」「アララギ」などを発刊し、その写生主義を強調。歌風は万葉風。門下に赤彦・茂吉などを出し、写生文の小説にも長じた。歌集・歌論集のほか、小説「野菊の墓」など。(1864〜1913) 伊藤左千夫 提供:毎日新聞社 →作品:『野菊の墓』 ⇒いとう【伊藤】

いとう‐しずお【伊東静雄】‥シヅヲ🔗🔉

いとう‐しずお伊東静雄‥シヅヲ 詩人。長崎県諫早生れ。京大卒。「日本浪曼派」「四季」同人。悲壮感に富む技巧的な作風を樹立。詩集「わが人に与ふる哀歌」「春のいそぎ」など。(1906〜1953) ⇒いとう【伊東】

いとう‐じゃくちゅう【伊藤若冲】🔗🔉

いとう‐じゃくちゅう伊藤若冲】 江戸中期の画家。名は汝鈞じょきん、斗米庵とも号。京都の人。初め狩野派を学び、のち宋・元・明の古画を模し、光琳風を研究、動植物画に写生的な装飾画体を創案。特に鶏の絵に優れる。(1716〜1800) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐じんさい【伊藤仁斎】🔗🔉

いとう‐じんさい伊藤仁斎】 江戸前期の儒学者。名は維楨これえだ。通称、源佐げんすけ。京都の人。初め朱子学を修め、のち孔子・孟子の原典に帰ることを主張し、朱子学を批判。京都堀川に古義堂を開き、門弟三千という。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。諡おくりなして古学先生。(1627〜1705)→古学→古義学→著作:『童子問』 ⇒いとう【伊藤】

いとう‐しんすい【伊東深水】🔗🔉

いとう‐しんすい伊東深水】 日本画家。名は一はじめ。東京生れ。鏑木かぶらき清方に師事。浮世絵系美人画によって知られる。(1898〜1972) ⇒いとう【伊東】

いとう‐すけちか【伊東祐親】🔗🔉

いとう‐すけちか伊東祐親】 平安後期の武士。工藤の一族。河津二郎と称した。曾我兄弟の祖父。平氏に仕え、伊豆に流された源頼朝を監視、石橋山の戦にこれを追撃。のち頼朝に捕らえられ自刃。( 〜1182) ⇒いとう【伊東】

いとう‐すけゆき【伊東祐亨】🔗🔉

いとう‐すけゆき伊東祐亨】 軍人。薩摩藩士。海軍大将・元帥。日清戦争では連合艦隊司令長官。日露戦争では海軍軍令部長。(1843〜1914) ⇒いとう【伊東】

いとう‐せい【伊藤整】🔗🔉

いとう‐せい伊藤整】 評論家・小説家。名は整ひとし。北海道生れ。東京商大中退。ジョイスらによる新心理主義文学を唱え、戦後は私小説的文学伝統・文学精神の理論化・方法化を目ざした。著「小説の方法」「日本文壇史」、小説「鳴海仙吉」「変容」など。(1905〜1969) 伊藤整 撮影:石井幸之助 ⇒いとう【伊藤】

いとう‐そうかん【伊藤宗看】🔗🔉

いとう‐そうかん伊藤宗看】 (3代)江戸中期の将棋棋士。初名、印寿。将棋所の伊藤家3代目。将棋宗家伊藤家始祖。7世将棋名人。鬼宗看と謳われる。著に詰将棋集「詰むや詰まざるや」など。(1706〜1761) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐だいすけ【伊藤大輔】🔗🔉

いとう‐だいすけ伊藤大輔】 映画監督・脚本家。愛媛県宇和島の生れ。主として時代劇をつくる。代表作「忠次旅日記」「王将」など。(1898〜1981) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐たんあん【伊藤坦庵】🔗🔉

いとう‐たんあん伊藤坦庵】 江戸前期の儒学者。名は宗恕。京都の人。初め医学を修め、のち那波活所に儒学を学び、朱子学を奉じ、福井藩に仕えた。江村専斎の談話を筆記した「老人雑話」を著す。(1623〜1708) ⇒いとう【伊藤】

いと‐うち【糸打】🔗🔉

いと‐うち糸打】 絹糸で組んだ紐。

いとう‐ちゆう【伊藤痴遊】‥イウ🔗🔉

いとう‐ちゆう伊藤痴遊‥イウ 政治家・講談師。本名、仁太郎。横浜生れ。自由党に入党、代議士にも当選。政界の裏面に通じ、政治講談で活躍。双木舎痴遊。(1867〜1938) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐ちゅうた【伊東忠太】🔗🔉

いとう‐ちゅうた伊東忠太】 建築学者・建築家。米沢市生れ。東大・早大教授。日本東洋古来の建築を研究。雲崗石窟を紹介。平安神宮・築地本願寺などを設計。文化勲章。(1867〜1954) 伊東忠太 撮影:田村 茂 ⇒いとう【伊東】

いとう‐とうがい【伊藤東涯】🔗🔉

いとう‐とうがい伊藤東涯】 江戸中期の儒学者。仁斎の長子。名は長胤ながつぐ。古義堂を継ぎ、仁斎の学問を大成したほか、中国の語学や制度に精通。著「制度通」「操觚字訣」「古今学変」など。諡おくりなして紹述先生。(1670〜1736) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐のえ【伊藤野枝】🔗🔉

いとう‐のえ伊藤野枝】 女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜せいとう社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。(1895〜1923) 伊藤野枝 提供:毎日新聞社 ⇒いとう【伊藤】

いとう‐ばいう【伊藤梅宇】🔗🔉

いとう‐ばいう伊藤梅宇】 江戸中期の儒学者。仁斎の次子。備後福山藩儒。歴史や有職故実にくわしく、著「見聞談叢」など。(1683〜1745) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐ひろぶみ【伊藤博文】🔗🔉

いとう‐ひろぶみ伊藤博文】 明治の政治家。初名は利助、のち俊輔。号、春畝。長州藩士。松下村塾に学ぶ。討幕運動に参加。維新後、藩閥政権内で力を伸ばし、憲法制定の中心となる。首相・枢密院議長・貴族院議長(いずれも初代)を歴任、4度組閣し、日清戦争などにあたる。政友会を創設。1905年(明治38)韓国統監。ハルビンで朝鮮の独立運動家安重根に暗殺された。元老。公爵。(1841〜1909) 伊藤博文(1) 提供:毎日新聞社 伊藤博文(2) 提供:毎日新聞社 ⇒いとう【伊藤】

いとう‐マンショ【伊東満所】🔗🔉

いとう‐マンショ伊東満所】 天正遣欧使節の正使の一人。大友宗麟の姪孫てっそん。1582年(天正10)千々石ミゲルらと渡欧、90年帰国。(1570?〜1612) ⇒いとう【伊東】

いとう‐みちお【伊藤道郎】‥ヲ🔗🔉

いとう‐みちお伊藤道郎‥ヲ 舞踊家。東京生れ。伊藤熹朔きさく・千田是也これやの兄。英米で舞踊家として活躍後、アーニー‐パイル劇場(東宝劇場)で制作・演出を担う。(1893〜1961) ⇒いとう【伊藤】

いとう‐みよじ【伊東巳代治】‥ヂ🔗🔉

いとう‐みよじ伊東巳代治‥ヂ 政治家。長崎生れ。伊藤博文に用いられ、大日本帝国憲法制定に参画。のち枢密顧問官。伯爵。(1857〜1934) ⇒いとう【伊東】

いとう‐らんぐう【伊藤蘭嵎】🔗🔉

いとう‐らんぐう伊藤蘭嵎】 江戸中期の儒学者。仁斎の第5子。博学・能文で東涯と並称。紀州藩儒。著「紹衣稿」「易憲章」「詩古言」など。(1694〜1778) ⇒いとう【伊藤】

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