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広辞苑の検索結果 (25)
い‐とう【以東】🔗⭐🔉
い‐とう【以東】
その地点から東。一般に、その地点を含んでいう。
いとう【伊当・伊富】🔗⭐🔉
いとう【伊当・伊富】
サケ科の淡水産の硬骨魚。全長約1.5メートル。体側に黒点が散在する。北海道・樺太に分布。個体数は少なく、釣り人の垂涎の的。イト。
いとう【伊東】(地名)🔗⭐🔉
いとう【伊東】
静岡県伊豆半島東岸の市。温泉を中心とする観光・保養地。人口7万2千。
いとう【伊東】(姓氏)🔗⭐🔉
いとう【伊藤】🔗⭐🔉
いと・う【厭う】イトフ🔗⭐🔉
いと・う【厭う】イトフ
〔他五〕
(キラ(嫌)ウが相手を積極的に切り捨て遠ざける意であるのに対して、イトウはいやな相手を避けて身を引く意)
①好まないで避ける。いやがる。万葉集18「ほととぎす―・ふ時なし」。「労を―・わない」
②この世を避け離れる。出家する。源氏物語夕霧「世の憂きにつけて―・ふは、なかなか人悪きわざなり」
③害ありとして避ける。御伽草子、酒呑童子「縁より下へおるるさへお乳や乳母のつき添ひて、荒き風をも―・ひしに」
④いたわる。かばう。大事にする。狂言、鞍馬聟「人を一人―・はせらるるに依つて」。「時節柄おからだをお―・い下さい」
いとう‐いっとうさい【伊東一刀斎】‥タウ‥🔗⭐🔉
いとう‐いっとうさい【伊東一刀斎】‥タウ‥
(伊藤とも)江戸初期の剣客。一説に伊豆伊東の人という。弥五郎、のち景久と称。鐘巻自斎に剣法を学び一刀流を創始。門弟に神子上みこがみ典膳(小野忠明)らがいる。生没年未詳。
⇒いとう【伊東】
いと‐うお【糸魚】‥ウヲ🔗⭐🔉
いと‐うお【糸魚】‥ウヲ
⇒いとよ
いとう‐きさく【伊藤熹朔】🔗⭐🔉
いとう‐きさく【伊藤熹朔】
舞台美術家。東京生れ。東京美術学校卒。築地小劇場・俳優座や商業演劇などで多くの舞台美術を手がける。(1899〜1967)
伊藤熹朔
撮影:田沼武能
⇒いとう【伊藤】
⇒いとう【伊藤】
いとう‐けいすけ【伊藤圭介】🔗⭐🔉
いとう‐けいすけ【伊藤圭介】
幕末・明治の植物学者。尾張藩の人。東大教授。シーボルトに師事、リンネの植物分類法を抄訳し「泰西本草名疏」を刊行。著「日本産物志」「日本植物図説」など。(1803〜1901)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐げんぼく【伊東玄朴】🔗⭐🔉
いとう‐げんぼく【伊東玄朴】
幕末の蘭医・幕府奥医師。名は淵。肥前の人。シーボルトに学び、鍋島藩に勧めてオランダから牛痘苗を取り寄せて接種を行う。1858年(安政5)江戸に幕府の種痘所を開き、61年(文久1)その後身西洋医学所の取締。(1800〜1871)
⇒いとう【伊東】
いとう‐さちお【伊藤左千夫】‥ヲ🔗⭐🔉
いとう‐さちお【伊藤左千夫】‥ヲ
歌人。名は幸次郎。上総(千葉県)生れ。1900年(明治33)正岡子規の門に入る。子規没後、「馬酔木あしび」「アララギ」などを発刊し、その写生主義を強調。歌風は万葉風。門下に赤彦・茂吉などを出し、写生文の小説にも長じた。歌集・歌論集のほか、小説「野菊の墓」など。(1864〜1913)
伊藤左千夫
提供:毎日新聞社
→作品:『野菊の墓』
⇒いとう【伊藤】
→作品:『野菊の墓』
⇒いとう【伊藤】
いとう‐しずお【伊東静雄】‥シヅヲ🔗⭐🔉
いとう‐しずお【伊東静雄】‥シヅヲ
詩人。長崎県諫早生れ。京大卒。「日本浪曼派」「四季」同人。悲壮感に富む技巧的な作風を樹立。詩集「わが人に与ふる哀歌」「春のいそぎ」など。(1906〜1953)
⇒いとう【伊東】
いとう‐じゃくちゅう【伊藤若冲】🔗⭐🔉
いとう‐じゃくちゅう【伊藤若冲】
江戸中期の画家。名は汝鈞じょきん、斗米庵とも号。京都の人。初め狩野派を学び、のち宋・元・明の古画を模し、光琳風を研究、動植物画に写生的な装飾画体を創案。特に鶏の絵に優れる。(1716〜1800)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐しんすい【伊東深水】🔗⭐🔉
いとう‐しんすい【伊東深水】
日本画家。名は一はじめ。東京生れ。鏑木かぶらき清方に師事。浮世絵系美人画によって知られる。(1898〜1972)
⇒いとう【伊東】
いとう‐すけちか【伊東祐親】🔗⭐🔉
いとう‐すけちか【伊東祐親】
平安後期の武士。工藤の一族。河津二郎と称した。曾我兄弟の祖父。平氏に仕え、伊豆に流された源頼朝を監視、石橋山の戦にこれを追撃。のち頼朝に捕らえられ自刃。( 〜1182)
⇒いとう【伊東】
いとう‐すけゆき【伊東祐亨】🔗⭐🔉
いとう‐すけゆき【伊東祐亨】
軍人。薩摩藩士。海軍大将・元帥。日清戦争では連合艦隊司令長官。日露戦争では海軍軍令部長。(1843〜1914)
⇒いとう【伊東】
いとう‐せい【伊藤整】🔗⭐🔉
いとう‐せい【伊藤整】
評論家・小説家。名は整ひとし。北海道生れ。東京商大中退。ジョイスらによる新心理主義文学を唱え、戦後は私小説的文学伝統・文学精神の理論化・方法化を目ざした。著「小説の方法」「日本文壇史」、小説「鳴海仙吉」「変容」など。(1905〜1969)
伊藤整
撮影:石井幸之助
⇒いとう【伊藤】
⇒いとう【伊藤】
いとう‐そうかん【伊藤宗看】🔗⭐🔉
いとう‐そうかん【伊藤宗看】
(3代)江戸中期の将棋棋士。初名、印寿。将棋所の伊藤家3代目。将棋宗家伊藤家始祖。7世将棋名人。鬼宗看と謳われる。著に詰将棋集「詰むや詰まざるや」など。(1706〜1761)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐だいすけ【伊藤大輔】🔗⭐🔉
いとう‐だいすけ【伊藤大輔】
映画監督・脚本家。愛媛県宇和島の生れ。主として時代劇をつくる。代表作「忠次旅日記」「王将」など。(1898〜1981)
⇒いとう【伊藤】
いとう‐たんあん【伊藤坦庵】🔗⭐🔉
いとう‐たんあん【伊藤坦庵】
江戸前期の儒学者。名は宗恕。京都の人。初め医学を修め、のち那波活所に儒学を学び、朱子学を奉じ、福井藩に仕えた。江村専斎の談話を筆記した「老人雑話」を著す。(1623〜1708)
⇒いとう【伊藤】
いと‐うち【糸打】🔗⭐🔉
いと‐うち【糸打】
絹糸で組んだ紐。
いとう‐ちゆう【伊藤痴遊】‥イウ🔗⭐🔉
いとう‐ちゆう【伊藤痴遊】‥イウ
政治家・講談師。本名、仁太郎。横浜生れ。自由党に入党、代議士にも当選。政界の裏面に通じ、政治講談で活躍。双木舎痴遊。(1867〜1938)
⇒いとう【伊藤】
大辞林の検索結果 (43)
いとう【伊富・伊富魚】🔗⭐🔉
いとう [0] 【伊富・伊富魚】
サケ目の淡水魚。全長1.5メートルにも達する。体形はややニジマスに似る。背は暗緑青色,腹部は灰白色で,背と体側に黒褐色の小斑点が散在する。釣りでは幻の魚といわれる。かつては青森県にも生息したが,現在は北海道・サハリンにのみ分布。イト。
いとう【伊東】🔗⭐🔉
いとう 【伊東】
静岡県東部伊豆半島東岸の市。伊豆の代表的な温泉地・観光地。伊豆サボテン公園などがある。
いとう-せん【伊東線】🔗⭐🔉
いとう-せん 【伊東線】
JR 東日本の鉄道線。静岡県熱海と伊東間,16.9キロメートル。伊豆半島東岸を通じ,伊東より南は伊豆急行線が下田までのびる。
いとう【伊東】🔗⭐🔉
いとう 【伊東】
姓氏の一。
いとう-きねたろう【伊東甲子太郎】🔗⭐🔉
いとう-きねたろう ―キネタラウ 【伊東甲子太郎】
(?-1867) 幕末期の志士。常陸国志筑藩士。新撰組の参謀だったが征長に反対して脱隊,山稜衛士となる。近藤勇宅訪問の帰路,斬殺された。
いとう-げんぼく【伊東玄朴】🔗⭐🔉
いとう-げんぼく 【伊東玄朴】
(1800-1871) 幕末の蘭方医。肥前の人。名は淵。シーボルトに学ぶ。江戸で医業のかたわら,象先堂塾で門人を養成。神田に種痘所を創設し,のち,その後身の医学所取締となる。著「医療正始」など。
いとう-しずお【伊東静雄】🔗⭐🔉
いとう-しずお ―シヅヲ 【伊東静雄】
(1906-1953) 詩人。長崎県生まれ。京大卒。「コギト」「日本浪曼派」同人。逆説的で鋭い抒情性に満ちた詩で知られる。詩集「わがひとに与ふる哀歌」「夏花」など。
いとう-しんすい【伊東深水】🔗⭐🔉
いとう-しんすい 【伊東深水】
(1898-1972) 日本画家・版画家。東京生まれ。本名は一(ハジメ)。鏑木(カブラギ)清方に入門。江戸浮世絵の伝統を継いだ美人画家。代表作「銀河祭」「聞香」など。
いとう-すけちか【伊東祐親】🔗⭐🔉
いとう-すけちか 【伊東祐親】
(?-1182) 平安末期の武将。伊豆伊東荘の人。伊豆に流された源頼朝を預かり,殺害しようとしたが失敗。のち,頼朝にとらえられ自殺。曾我兄弟の祖父。
いとう-すけゆき【伊東祐亨】🔗⭐🔉
いとう-すけゆき 【伊東祐亨】
(1843-1914) 海軍軍人。薩摩藩士の出。日清戦争の連合艦隊司令長官。日露戦争では大本営海軍幕僚長。
いとう-ちゅうた【伊東忠太】🔗⭐🔉
いとう-ちゅうた 【伊東忠太】
(1867-1954) 建築学者。山形県生まれ。東大教授。明治神宮・築地本願寺の設計者。日本および東洋の建築史を研究。著「法隆寺建築論」「伊東忠太建築文献」など。
いとう-マンショ【伊東満所】🔗⭐🔉
いとう-マンショ 【伊東満所】
(1570頃-1612) 室町末期のキリスト教徒。日向の人。天正遣欧使節の正使。
いとう-みよじ【伊東巳代治】🔗⭐🔉
いとう-みよじ ―ミヨヂ 【伊東巳代治】
(1857-1934) 官僚・政治家。長崎の生まれ。大日本帝国憲法の起草・制定に参画。のち,枢密顧問官となり,枢密院内に勢力を扶植(フシヨク),時の内閣を牽制(ケンセイ)して対外積極策を主張。
いとう-らんでん【伊東藍田】🔗⭐🔉
いとう-らんでん 【伊東藍田】
(1734-1809) 江戸後期の儒者・漢詩人。江戸の人。荻生金谷や大内熊耳に師事し
園(ケンエン)の学風を伝えたが,新詩風にも理解があった。著「藍田文集」
園(ケンエン)の学風を伝えたが,新詩風にも理解があった。著「藍田文集」
いとう-りゅう【伊東流】🔗⭐🔉
いとう-りゅう ―リウ 【伊東流】
近世槍術の一流派。始祖は江戸初期奥羽の人,伊東紀伊入道佐忠(スケタダ)。江戸時代に盛行。建孝(ケンコウ)流。
いとう【伊藤】🔗⭐🔉
いとう 【伊藤】
姓氏の一。
いとう-いっとうさい【伊藤一刀斎】🔗⭐🔉
いとう-いっとうさい ―イツタウサイ 【伊藤一刀斎】
安土桃山時代の剣客。伊豆の人。名は景久。姓は「伊東」とも。鐘巻自斎に剣法をまなび,一刀流を興した。生没年未詳。
いとう-えいのすけ【伊藤永之介】🔗⭐🔉
いとう-えいのすけ 【伊藤永之介】
(1903-1959) 小説家。秋田県生まれ。本名は栄之助。「梟」「鴉」「鶯」などで,東北農村の生活を独自な説話文体で描き,社会主義的な農民文学者として活躍。
いとう-きさく【伊藤熹朔】🔗⭐🔉
いとう-きさく 【伊藤熹朔】
(1899-1967) 舞台美術家。東京生まれ。東京美校卒。築地小劇場で多数の舞台装置を担当。のち春陽会に舞台美術部を創設するなど舞台美術の発展に貢献。
いとう-けいすけ【伊藤圭介】🔗⭐🔉
いとう-けいすけ 【伊藤圭介】
(1803-1901) 幕末・明治の博物学者。名古屋生まれ。東大教授。シーボルトにまなび,ツンベルクの「日本植物誌」により「泰西本草名疏」二巻を著す。その付録でリンネ分類を日本に初めて紹介。著「日本産物誌」など。
いとう-さちお【伊藤左千夫】🔗⭐🔉
いとう-さちお ―サチヲ 【伊藤左千夫】
(1864-1913) 歌人・小説家。千葉県生まれ。本名は幸次郎。正岡子規に師事。「馬酔木(アシビ)」「アララギ」を刊行,短歌の生命を「叫び」にあると主張。小説に「野菊之墓」などがある。
いとう-じゃくちゅう【伊藤若冲】🔗⭐🔉
いとう-じゃくちゅう 【伊藤若冲】
(1716?-1800) 江戸中期の画家。京都の人。狩野派・琳派を学び,中国明清画の筆意をくわえて動植物画に独自の画境を開く。とくに鶏の画をよくした。代表作「花鳥魚貝図三十幅」「群鶏図」
いとう-しょうう【伊藤松宇】🔗⭐🔉
いとう-しょうう 【伊藤松宇】
(1859-1943) 俳人。正岡子規らと「椎の友」を結成,俳誌「俳諧」「筑波」を創刊。句集「松宇家集」
いとう-じんさい【伊藤仁斎】🔗⭐🔉
いとう-じんさい 【伊藤仁斎】
(1627-1705) 江戸前期の儒学者。古義学の祖。京都の人。名は維
(コレエダ),字(アザナ)は源佐(ゲンスケ)。年来学んできた朱子学に疑問を抱き,直接古典,ことに「論語」「孟子」の真義をつかんで仁義の実践躬行(キユウコウ)を求める古義学を首唱。京都堀川に古義堂を開いて堀川学派と呼ばれ,門弟三千余人におよんだ。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。
(コレエダ),字(アザナ)は源佐(ゲンスケ)。年来学んできた朱子学に疑問を抱き,直接古典,ことに「論語」「孟子」の真義をつかんで仁義の実践躬行(キユウコウ)を求める古義学を首唱。京都堀川に古義堂を開いて堀川学派と呼ばれ,門弟三千余人におよんだ。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。
いとう-しんぞう【伊藤慎蔵】🔗⭐🔉
いとう-しんぞう ―シンザウ 【伊藤慎蔵】
(1826-1880) 幕末の洋学者。長門国萩の人。適塾にまなぶ。越前国大野藩の洋学館長として蘭学教育などに貢献。
いとう-しんとく【伊藤信徳】🔗⭐🔉
いとう-しんとく 【伊藤信徳】
(1633-1698) 江戸前期の俳人。京都の富商。貞徳の門人,のち談林派。若い芭蕉と交わった。
いとう-せい【伊藤整】🔗⭐🔉
いとう-せい 【伊藤整】
(1905-1969) 詩人・小説家・評論家。北海道生まれ。本名は整(ヒトシ)。東京商大中退。詩から小説に転じ,昭和初期に「新心理主義」を唱え「得能物語」などを書く。戦後は創作と文学理論の統一をめざし活躍。小説「鳴海仙吉」「氾濫」,評論「日本文壇史」など。
いとう-そうかん【伊藤宗看】🔗⭐🔉
いとう-そうかん 【伊藤宗看】
(1)(初代)(1618-1694) 江戸前期,将棋三世名人。出雲の人。大橋本家で修業し,1635年に独立して家元伊藤家をおこし,のち三世名人となる。在野派の挑戦を退けた数多の争い将棋で有名。
(2)(三代)(1706-1761) 江戸中期,将棋七世名人。将軍に献上した詰め将棋集「象戯図式」は難解かつ名作で,「詰むや詰まざるや百番」と称して有名。
いとう-だいすけ【伊藤大輔】🔗⭐🔉
いとう-だいすけ 【伊藤大輔】
(1898-1981) 映画監督。愛媛県生まれ。小山内薫に師事。「忠次旅日記」「丹下左膳」などサイレント時代劇に傑作を残す。
いとう-ためきち【伊藤為吉】🔗⭐🔉
いとう-ためきち 【伊藤為吉】
(1864-1943) 建築家。三重県生まれ。機械学・数学・漢学などを学び,渡米。帰国後,職工徒弟の教育・地位向上に腐心。のちに鉄筋コンクリート部材の研究・生産を行う。晩年は,永久動力機関の発明に没頭する。
いとう-ちゆう【伊藤痴遊】🔗⭐🔉
いとう-ちゆう ―チイウ 【伊藤痴遊】
(初代)(1867-1938) 講談師・政治家。横浜生まれ。本名は仁太郎。普通選挙第一回で衆議院議員に当選。双木舎(ソウボクシヤ)痴遊と名乗り自作の政治講談を読む。のち,講談が本業となる。著「伊藤痴遊全集」全三〇巻。
いとう-とうがい【伊藤東涯】🔗⭐🔉
いとう-とうがい 【伊藤東涯】
(1670-1736) 江戸中期の儒学者。名は長胤,字(アザナ)は源蔵,別号を慥々斎。仁斎の長男。京都堀川にあって子弟の育成に従事,仁斎の古義学を大成。著「制度通」「古今学変」「操觚字訣」など。
いとう-のえ【伊藤野枝】🔗⭐🔉
いとう-のえ 【伊藤野枝】
(1895-1923) 女性解放運動家。福岡県生まれ。青鞜(セイトウ)社に参加。のち,無政府主義運動を展開。関東大震災直後,夫大杉栄とともに虐殺された(甘粕(アマカス)事件)。
いとう-ひろぶみ【伊藤博文】🔗⭐🔉
いとう-ひろぶみ 【伊藤博文】
(1841-1909) 政治家。長州の人。初名は俊輔。松下村塾に学び,討幕運動に活躍。明治政府にあって,帝国憲法の制定,天皇制の確立に尽力。初代首相・枢密院議長・立憲政友会総裁などを歴任。組閣四度に及び,その間日清戦争を遂行。1905年(明治38)初代韓国統監。ハルビンで安重根に暗殺された。
いとう-へいざえもん【伊藤平左衛門】🔗⭐🔉
いとう-へいざえもん ―ヘイザ
モン 【伊藤平左衛門】
(1829-1913) 宮大工。名古屋の人。京都東本願寺大師堂などを造営し,社寺建築の伝統をささえた。帝室技芸員。
モン 【伊藤平左衛門】
(1829-1913) 宮大工。名古屋の人。京都東本願寺大師堂などを造営し,社寺建築の伝統をささえた。帝室技芸員。
いとう-らんぐう【伊藤蘭嵎】🔗⭐🔉
いとう-らんぐう 【伊藤蘭嵎】
(1694-1778) 江戸中期の儒学者。紀州藩儒官。仁斎の五男。博学で長兄東涯と並び称された。著「大学是正」「中庸古言」など。
いとう-ろくろべえ【伊藤六郎兵衛】🔗⭐🔉
いとう-ろくろべえ ―ロクロベ
【伊藤六郎兵衛】
(1829-1894) 幕末・明治の宗教家。武蔵国(神奈川県川崎)の人。丸山教の教祖。
→丸山教
【伊藤六郎兵衛】
(1829-1894) 幕末・明治の宗教家。武蔵国(神奈川県川崎)の人。丸山教の教祖。
→丸山教
いと・う【厭う】🔗⭐🔉
いと・う イトフ [2] 【厭う】 (動ワ五[ハ四])
(1)いやに思う。いやに思って避ける。「世を―・う」「水仕事を―・う」「煩(ハン)を―・わず」
(2)大事にする。いたわる。「お体をお―・い下さいませ」
(3)(「世を厭う」から)出家する。「山里に浮世―・はん友もがな/新古今(雑中)」
いとう🔗⭐🔉
いとう イタウ (副)
〔形容詞「いたし」の連用形「いたく」の転〕
はなはだしく。ひどく。「(木ニ)とりつきながら,―睡りて落ちぬべき時に/徒然 41」
いと-うお【糸魚】🔗⭐🔉
いと-うお ―ウヲ [2] 【糸魚】
イトヨの別名。
いとう【厭う】(和英)🔗⭐🔉
いとう【以東の[に,で]】(和英)🔗⭐🔉
いとう【以東の[に,で]】
east.→英和
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